2025年1月

1月1日
あけましておめでとうございます!
今年も鬼谷ならびに蛸足ターミナルをどうぞよろしくお願いいたします!
今年の方針というか試してみたいと思っていることは、人に嫌われることを避けすぎない、ということ。
今の私はかなり頑張って人に嫌われないようにしている。もともとかなり攻撃的な性格というか、各自が思う正論をぶつけ合わせながら生きてみようよという感じなので、それを意図的に抑えている。まあみんなそうなのだろうが……。
そのセーブを少し弱めてみたらどうなるのか、試したい。ネット上の振る舞いの話ではなく、現実で。
いや〜、難しいかあ。多少なりとも周囲を怖がらせてしまうだろうし、自覚してそれをやるって子供へ退行するようなものだもんなあ。
でも最近はあまりにも人に嫌われなさすぎて不安を覚えつつあるのも事実。無害ゆえに何らかの可能性を失っているのではないか。
とりあえず自分のことだけを考えて行動する練習をしてみようかな。あ、それがちょうどいいかも。功利主義的な振る舞いはまだ早い。まずは利己的にパワーを獲得するべきで、それから還元すればいい。
他人に対する思考に時間を使うのは一旦やめて、「=どうでもいい」を当てはめてみて式が成立するのであればどんどんそうやって処理してしまおう。
鬼谷の周りの人、すみません。決して嫌いになったわけではないのですが、今年はあなたへの配慮が減るかもしれません(前年比)。

 

1月2日
正月、「一人にさせてくれー!」という気持ちになる。
初売りに行きたいと言ういとこらを車で送り、一人で渋滞に巻き込まれながらカーナビで「逃げ恥」一挙放送を見ていた。すごくリラックスできる時間だった。ガッキーのかわいさは久しぶりに見るとビックリする。「そりゃ常識としてかわいいことは知っていたけど、こんなにかわいいんだっけ!?」と思う。
とはいえ、人だからな……。(どういう結論?)

 

1月3日

「救急車はもっと速く走行してもいいんじゃないか」ということで叔父と意見が一致し、そんなこと考えてる人が親族にいるんだと驚いた。

 

1月4日
この1年、生活において声優のラジオを聴いている時間が多すぎる気がする。悪いことではないのだが、普通ではない頻度で聴いている。
パーソナリティの性別を問うことなく何でも聴いている。聴き続けるかどうかの基準はとにかく「面白さ」で、どんなにいい声だろうと面白くなかったらなかなか聴き続けることは難しい。
そう思いながら聴き続けてきた結果わかったことなのだが、男性声優のラジオは面白いことが少ない……!
なぜだろう? 本当になぜなのかよくわかっていない。
全般的に感じることとしては、なにか業界全体や仕事に対する配慮が大きすぎて自由さを欠いている印象がある。「もう少し失礼なことを言ってもいいんじゃないの」と思うことはあるが、もしかしたら声優界には “男性声優が調子に乗った発言をすると即時かけられる圧力”みたいなものがあるんだろうか。単純に上下関係が厳しいというのはあるんだろうけど、それを見込んだうえでもラジオとしての面白さを出すために冗談を言うことぐらい許されないだろうか……。
そういう点では、天﨑滉平さん・髙橋ミナミさんのコンビによる『A&G TRIBAL RADIO エジソン』という番組は非常にバランスがいい。髙橋さんが結構ズバズバとしゃべるタイプで、天﨑さんはそれを抑えるようなムーブをしつつも釣られて失礼なことを言ったりする。それがちゃんと面白い。
男女ペアの声優ラジオ番組はかなり少ない(アイドル売りしている要素が強いとリスナー層的に相性が悪い?)が、こういう効果が得られることもあるとしたらぜひ主流の一つになってほしい。

 

1月5日
尿意は数時間にわたって我慢することが可能だが、一度放尿を始めるとそれを中断することが非常に難しくなるのはなぜだろうか。

 

1月6日
学生はまだ冬休みだろうし大学の図書館で勉強しよ~と思って行ったら普通に賑わっていて驚いた。授業始まってるっぽい。大学生って常に想定の1.3倍ぐらい長く休んでいるものと思っていたけど、年始はほぼ暦どおりなんだな。
そういえば今って卒論とか出す時期か。だから賑わってたのか。そんで1月末にはもうほぼ授業が終わるんだ。そこから4月まで休み。ああそうだ、ここが異常だった。思い出したぞ。羨ましい。

 

いずれ納めることになる住民税をよその自治体に横流ししたらみかんがもらえました。

 

1月7日
上記の日付を入力して、七草粥を食べ忘れていることに気づいた。
明日死ぬかもしれない……。

 

1月8日
ふと高校の後輩の名前を思い出して、検索してみたら芸能的な活動をしておりビックリした。まったく情報のない状態だったから純度の高い驚き。彼は後輩の中でも特によく話していた立場だからなんか感慨深い。「そういうことがしたくて、実際やれているのだなあ」という嬉しさがある。私がこれまでしてきた仕事ってすべて成り行きだけど、彼の場合はそうじゃなさそうだから。
ある夏休みの日に彼は、レーザーで投影された存在しないキーを指で触れると赤外線やらで感知されてデバイスに文字が入力できる「バーチャルキーボード」というものを学校に持ってきて、それを使わせてくれた。あのときの「なんか面白いものが来た感」は今でもたまに思い出す。レーザーが見えやすくなるように電気を消した部室の暗さも覚えている。
高校で関わりのあった先輩や後輩は賢くて性格の良い人ばかりで、その後どんな人生を送っているのか気になる。同級生のことよりも気になる。
おおお
いま、一番面白かった後輩の名前を調べてみたら東大に進学していた!
偉い!!!
おおお
お世話になった先輩の名前を調べてみたらNHKに入局していた!
すごい!!!
東大もNHKも私の大好きな組織だ!いつもありがとうございます!
みんなすごいな。本当にすごい。あえて比較するならば私はろくでもない。大学を卒業して無職になっていた時点でかなりやばい。それから常にふらふらしている。軸がない。しかし今からでもきっとなんとかできるはずだから頑張ろう。もっと焦ろう。
うちで焦ろう♪(星野源)

 

1月9日
風呂上がりにテレビ見てたらビートルズの『In My Life』が流れてきて、「風呂上がりに聴く曲としてちょうどいい」と思ったので貼りました。風呂上がりにこの日記を読んでいる人がいたらぜひ再生してください。
いまは「映像の世紀 バタフライエフェクト」が放送中だ。糸井羊司アナの語りの説得力と緊迫感が格別。

 

1月10日
人を甘やかしたことがない、と気づいた。「自分を甘やかす」という考えを抱いたこともない。これはあくまで言葉の問題かもしれず、実際それに値する行為はしたことがあるのかもしれないが。
そもそも「甘やかす」がどんな行為を指すことなのか分からない。なんとなく「生産や努力や善処を強いないこと全般」みたいに捉えているが、そういうわけではないのだろうか。
そうだとしたら、人を甘やかしたことのない私は周囲に対して生産や努力や善処を強い続けてきたと考えられる。強いるというか、それらのためになることがあれば他人に関与する、とした方が実態に近い気がする。例えば人を褒めることはあるけど、それは相手に満足感を与えるためではなく、「そこに価値が感じられる」という客観的な評価を共有する感覚に近い。
甘やかされたい人がいるとして、その人が「甘やかされた」状態になるために、私は必要ではないと考える。だからあえて関与することはない。
なんかずれてる気がするな。「甘やかす」をうまく理解できない理由は、何より私自身が甘やかされたいと思ったことがないからかもしれない。甘やかされたいと思ってしまうことは怖いというか、直感的には死を受け入れることと近い。(考えることから逃れて完了したい、という欲求のような)

 

1月11日
シャニマスのSHHis(シーズ、二人組)とCoMETIK(コメティック、三人組)という2ユニットのXRライブを見た。XRというのは、どういう技術か分からないけどステージ上に投影される映像がマジの立体のように見えてアイドルたちが本当にステージ上にいるように楽しめるやつのことである!
これがまず映像のクオリティとしてめちゃくちゃよかった。最初は「よくできてんなあ」と技術に感心していたけど、だんだん「その場にいるもの」として当たり前のように捉えることができた。「ルカって結構基本の振り付けに忠実なんだな」「対して美琴は全体曲だと結構ラフに踊ってるけど、ほか4人との体格差を見ると案外バランスいいのかも」「にちかは首のアイソレーションがうまいな。本人も自信持ってはっきりやってる印象だ」とか思ったり。
構成はとんでもなかった。ライブは昼の部と夜の部があって、夜の部で「演目中盤にシーズの緋田美琴が体調不良でいきなり倒れて、以降ステージを降りる(一度も出なくなる)」という演出があった。
SHHisの披露する曲が始まる直前にスタッフの無線っぽい音声が聞こえて、そのときは「うっかりミスで客席に音が漏れてしまったのかな……ドンマイ、あとで怒られるでしょうね」と思っていたのだが、直後に七草にちかの「美琴さん!?」という声が入り、まもなく曲が始まったもののステージは無人で、やがて曲も止まり、アナウンスが入ってライブ中断の旨が告げられた。
これ実際の人が演じているライブじゃなくて、言ってしまえば用意した映像を流すだけのステージなので、完全にそういう事故を意図して作っているのである。そんなことしていいのか!?
その後、にちかが残りの曲すべてをソロでパフォーマンスするという香盤になった。そんなことしていいのか!?(結果、とてもよかった。なんか気づいたらめっちゃ涙出てた)
明日も残り2公演あるので、それを見てから語れる今日の感想もあると思う。すべてを通してどんなライブになるのか楽しみだ。

 

1月12日
昨日から続くライブ(全4公演)のうち後半2公演があった。前日に体調不良で倒れた緋田美琴はセーブしつつ復帰し、最終公演では最初から最後まで出演した。
すべて見た感想としては、
「斑鳩ルカ、かっこいい~~~~~」
です。これは件のアクシデントを含む構成に由来するものではない。単にライブでのパフォーマンスとして斑鳩ルカの貫禄に目を奪われていた。ビジュアル、ダンス、歌、動き、表情など、総じて得も言われぬ魅力がある。カリスマと称されるのも納得だ。
あとはもちろん七草にちかが大変偉い。自分にしかできない仕事をよくやり通した。やるべき仕事をやる人はとにかく偉い。
羽那とはるきは明るくて偉い!君らがいたからこそMCパートがなんとか機能していた!ていうか普通に歌も踊りもできていて言うことがない!
美琴は今回はドンマイだ!まさに「気にするな」という意味の、これからに向けたドンマイ!ダンスに関しては『OH MY GOD』のサビの膝を左右交互に内側に入れる振りのキレがすごすぎて「関節が悪くなっちゃうYO……」と思いながら毎回じっくり見ていた(メロディー含めてめっちゃ好きな部分だから)。
で、見ているうちに「自分も人のために生きる考え方を持ってみてもいいかもな……」と思った。もともと自尊心が強大だから他人からの承認などどうでもよくて、バズっても心動かじといった日々だった(ウェブメディア業界で働く者として致命的)けど、改めて「多くの人にポジティブな反応をもらう」ことを第一の喜びとして生きるのも悪くないかもしれないと感じている。
日記はここらで切り上げ、さっさと寝て、起きて、賢くなるために勉強をする必要がある。いま私にできる最善の行動はそれだ。ですよね、斑鳩ルカさん?
「は? 知らねぇ……」

 

1月13日
テレビをつけたらちょうど高校サッカーの決勝が始まったところだったので、そのまま試合終了まで見てしまった。PK戦の10人目までもつれ込む接戦で、前橋育英高校が優勝した。準優勝は流通経済大柏高校。
並の日本代表戦より楽しかった。ファウルが少ないこと、そして各選手の技術が高いことが楽しさの理由であるように感じたのだが、それって単純にスポーツとしてハイレベルということだよな。103回大会の決勝であるこの試合は、史上最高の観客数だったらしい。
流通経済大柏の亀田くんの体格や顔つきが良かった。筋肉の密度が高く、首や腕が太くて「剛健」という雰囲気。今年度の高校野球で活躍した大社高校の馬庭くんに似た気配。そういえば馬庭くんは東洋大学に進むらしい。亀田くんはJ2チームへの加入が内定している。
今後も頑張ってほしいですよね。
ね、ハム太郎。
ハム太郎「えっ!?……まあ、最近はなかなか難しいですよね~(聞いてなかった)」

 

1月14日
Twitterを通して感じられる、世間の事象への人々の反応があまりにもつまらなく、怒りの矛先を分散させつつ精神を落ち着かせる努力をした。

先日のライブ以降、斑鳩ルカのことばかり考えている。アイドルマスターへの向き合い方として、誰か一人「担当アイドル」を選べと言われたら、斑鳩ルカを選ぶかもしれない。アイドルというか、歌手・パフォーマーとして最も魅力を感じるのはルカだ。
しばらく考える。

 

1月15日
昨晩は睡眠に失敗した。いつもより少し早めに布団に入ってみたのだがなかなか寝付けず、あまりにも目が冴えているので観念して一度電気をつけ、空腹が原因にも思えたのでインスタントの味噌汁を飲み、食欲が刺激された勢いでお茶漬けを食べ、部屋の酸素濃度の低さを感じたので窓を開けて換気し、いつのまにか3時半。
日中暖かくなると天気予報で言っていたのでどうしても早起きして洗濯機を回したい気持ちがあり、結局5時間も眠れなかった。仕事中に眠気を感じたのも久しぶりで、頭が働かないな~と思いながらだましだましパソコンを見ていた。今晩こそはよく寝たい。

 

1月16日
日付が変わる前に布団に入って9時間寝たぞー!夜までばっちり元気\(^o^)/

音泉というネットラジオサービス内の「山田じぇみ子のざこざこお兄さん取締ラジオ」という番組にヤスミノさんが出演した。私は音泉プレミアム会員なのでもちろん聴いた、というか事前にメールを送っていた。
しかし、採用されず。かなり悔しかった。ちゃんと過去回も聴いて雰囲気やホットな話題を把握しつつ、メールを受けたヤスミノさんが「いや、フォークリフトなんて日常生活で全く使い道ないですからね」とコメントしやすくなるための軽いボケも入れたのに……。「目で見るだけの文章だったら絶対に入れない部分の句読点を、声に出して読む文章だからこそあえて入れる」みたいな配慮もしたのに……。
今回ヤスミノさんをゲストとしたうえでの番組内容が「エロ音声作品についてしっかり語ろう!」という感じだったので、そもそも私のメールは方向性がミスマッチだった。だから採用されないのは当然だけど、そこをなんとか貫けないかという希望もあって送っていた。わからせられてしまった。
声優のラジオをあれこれ聴き始めて、もう1年以上経つ。メールを送る常連リスナーの名前は大体覚えてしまった。声優界すべての番組を合わせても体感20人ぐらいしかいないから。かつては私もそこに殴り込んでやろうかと思っていたが、聴けば聴くほど「声優が関わるコンテンツにしっかり触れていないと採用されなそうだ」という気持ちが強くなる。アニメを見たり、ライブや朗読劇を見に行ったり……。そうでなくてもパーソナリティの個性を活かすことを前提としたメールが多いからたとえば質問で終えるのが定石だったり、リスナーの自我として何かをおすすめしたりするようなコーナーが多かったりする。ネタがネタとして独立することはあまりない。まずパーソナリティにあいさつする一文ですら私は不要だと感じてしまい(というかそういう形式の文章を送ったことがなかった)、いまだに違和感が拭えない。
どうあるべきというわけではなくこれは傾向の話で、やはり私は根っからTBSラジオに育てられた人間だから文化放送寄りの電波とは今でも波長が合わせられないだけかもしれない。雀百まで周波数忘れず。でもこれからも声優のラジオは聴きます。

 

1月17日
かつて「難しくて読みにくいな~」と思ってスルーしていた本が、いつの間にか読みやすくなっていた。無駄に平易な表現がなくてむしろありがたいというか。この変化はRPG系のゲームで感じられる楽しさに近い。
しかしあえて厳密に言うと、今回のは「自分が強くなったことを喜ぶ」といった感覚とは違う。ただ純粋に、同じ対象への手応えが変化したことが面白い。したがって理屈で言えば「前は簡単だったのに難しくなってる」という退化パターンでも同様の楽しみを得られることになる。それは流石に不快が生じて素直に楽しめないだろうけど。

 

1月18日
青空の写真だけを投稿し続け、おかげさまでもうすぐフォロワー1000人。そんなにフォロワーがいることにさっき気づいてびっくりしました。通知を切ってるから何もわからなかった。それぐらい無心でやってます。やる気も嫌気もありません。空が青い限り、今後もどうぞよろしく。

 

1月19日
まだ少し先ではあるが、最後までかわいくあり続けてすごい人だ。

1年半前にライブに行ったときにも、かわいいこと、かわいくあり続けていることに感銘を受けていた。

かわいさを仕事にして22年。すごい人生。

 

1月20日
いま急にTwitterのいいね欄が再び公開されても全く困らない。むしろ見せたい。そして他人のいいね欄を見たい。
という気持ちとともに、最近のTwitterのタイムラインがあまりにもつまらなくて、皮肉ではなく「自分の感覚が世間とずれているのではないか……?」と不安になった。みんなで考えた言説を集める空間がこんなにつまらなく感じてしまうことがあるか?という疑問。
Twitterでやれること・見られる現象は全ユーザーの共通目標として既にコンプリートできているだろうから、いよいよ次のミッションに向かいたいよね。火星のテラフォーミングが完了すれば次の惑星を目指すのが人類だろう。みんなで模索しながら何かを目指す時間って楽しいから。新しいSNSではなく、SNSではないどこかに行きたい。

 

1月21日
声優のラジオが減っちゃうよ~~~~!!!!!どする!?みんなどする!?なに聴く!?!?
超A&G+はアーカイブがない点で少し不便に感じることもあるんだけど、そのリアルタイム性が良かったんだよなあ。文化放送にはQloveR(クローバー)という独自のポッドキャスト的サービスがあって、超A&G+のサービスもそちらに移行していったりするらしいけどそれは空気感として少し違うんだよな……。
遊びの場がひとつ減ってしまうようで、悲しい~ん

 

1月22日
「あの人は実は性格が悪い」的なエピソードを聞いて、残念に感じたことがない。単に「まあそうだろ」としか思えない人もいるし、意外だったとしても「へえ、実は性格が悪かったんだ!」と思うだけだ。むしろ知らなかった一面を見られて嬉しかったり。
逆はあるかもしれない。「厄介そうなあの人だけど、実は性格がいい」みたいな話を聞いて、「そうですか、じゃあいざとなったら私の代わりに死んでください」と興味を失うことはある。私は性格よく生きることを簡単だと思っているからかもしれない。だって敵も増えないし社会として合理的だし、特にデメリットないじゃん。「ハードモードで頑張ってるのかと思ったら実はイージーモードだったんかい」というガッカリがあるのかもな。

 

1月23日
無印良品のせいろを買った。店頭だとどこも売り切れているけどネットだと普通に在庫あったから注文した。明後日までに届くらしい。
蒸し料理は油を使わなくていいのが良いよな。今のような季節には加湿効果もあるだろうし。
ヘルシーな話題が続いて恐縮だが、今年はあまり酒を飲まないようにしようと思っている。直近の酔い方がフィジカル的にけっこう不快で、こんな調子だったら飲む必要ないなと思った。珍しい酒や特別うまい酒などを飲む機会があったりしたら飲むけど、基本的にはノンアルコールで明晰に生きていこうと思う。
あとは運動をして体を大きくしたい。高校生のような成長をしたい。

 

1月24日
料理において「作り置き」という言葉がしばしば使われるが、それは単に「多く作る」ことを意味していることも多い。「多く作る」で問題なく表現できてしまうなら、私はあまり「作り置き」と言いたくない。
作ってから時間を置くことで完成するとか味が良くなっていくとか、一般的な食品の範疇を超えて長期間保存できるとか、あるいは単に多く作るとしてもその量が並大抵ではない(4人家族が3日間食べ続けられるなど)とかの場合であれば、気兼ねなく「作り置き」と言える。そうでない、単に1人の3食分をまとめて作るとかだったら、それは普段の調理の範疇に収まってしまう。
昔はこういう考えを他人(この場合は「作り置き」という言葉を使った人)に対して都度直接言っていたから、よく人に嫌われていた。今はもう他人の言葉遣いなんてほとんどどうでもよくなっているから、我慢すらせず受け流せるようになっている。大人になりました。

 

1月25日
↑の日付を打ち込んで、大学の後輩の誕生日であることに気付き、LINEを開いてメッセージの履歴を見たら、数ヶ月前に私が送ったのち相手の返事がない状態だったので、「これに重ねて送ったら返事してないことを咎める感じになって申し訳ないか……」と思ったので何も送らなかった。めでたいであろう日に気を使わせるのは悪いからな。ちなみに返事はなくても関係は変わりないというかSNSでは今でも反応してくるので嫌われているわけではないと信じている。めんどくさい人だとは思われていると思う。

大学といえば、先日出た増田薫さんの学食連載記事で協力した。さらさらトン茶という大学生協の夏限定メニューの再現を試みるという内容。さらさらトン茶はうまいし、再現もかなりうまくいったと思うので興味ある方は試してみてください。

ここで早稲田大学出身というのを初めて言った。これまでなんとなく隠していたけど、隠したところで特に何も変わらなかったので言ってみることにした。タモリの後輩です。私が毎週ラジオを聴いている声優の斉藤壮馬さんも先輩にあたる。学生数が多いから出身者も多いのだ。

 

1月26日
臨海部に行く用があったので帰りにフジテレビを見てきた。今フジテレビは中居正広関連の問題を発端とした評判の低下により、CMを出していた企業が軒並み出稿を差し止めるという危機に瀕している。私はフジテレビの敵でも味方でもなく、ただの通行人にすぎない。

 

足元は錆びようともボディの青さは損なわないラフくん。

 

フジテレビの玄関といえばこの張り紙、という印象がある。
今後どうなるのか。フジテレビで働く知人がいるわけでもなく、そこまで身を入れて動向を追う意欲がない。
帰りに読売テレビ(関西)の取材クルーがいて、ベビーカーを押す母親に「社長の発言についてどう思いますか!」と聞いており、母親が「え~?」と言っていた。私が聞かれても同様にはっきりした回答はできず双方時間の無駄になるだろうと思ったから、歩行速度を上げて立ち去った。

 

大相撲初場所で優勝決定戦が巴戦となり、豊昇龍が優勝した。彼は朝青龍の甥である。叔父譲りの気迫と勝負強さで、結びの一番から三番続けての取り組みをしっかり勝ち切った。

中継が終わり、シームレスに始まる18時のニュース。初場所の結果を伝える利根川アナの表情がはっきりと柔らかく、その盛り上がりを知らせるものだった。続いて大阪・関西万博の話題に移り、露骨な高揚感は抑えられつつも、明るい雰囲気が残される。ここでは「人気キャラクター、ハローキティ」というフレーズも使われるなど、展示に基づいたポジティブな内容だった。最後の3本目は「70年ぶりに発見された金田一耕助の映画が上映された」というニュースで終始穏やかな内容が続き、最後まで利根川アナの微笑みが維持される18時のニュースだった。

 

1月27日
編み物が流行っているらしい。
といった情報を知る前に、街で二度、編み物をしている人を見かけていた。それぞれ電車と飲食店で。いずれも若い女性で、「家の外で編み物をしている……」と思いながらしげしげ見てしまったので印象深かった。
編み物って時間かかるけど楽しいよな。やり方は忘れたけど小学生のころ手芸が好きだったからたまにやってた。
もう亡くなってしまったけど親戚に刺繍を生業としていたおばちゃんがいて、そのおばちゃんにもらった毛糸の座布団を長年使っていた。学校の椅子に敷いていたと思う。あれは柔らかくて暖かくてよかったなあ。大きいから大変だろうけど、ブームの渦中にいるみなさんは座布団を作ってみてはいかがだろうか。

 

1月28日
無印良品のせいろが届き、すでに4回ほど使ってあれこれ蒸しては食べている。
かなりいいです。野菜が好きな人であれば、本当に蒸すだけで満足できる味になってしまう。一応ポン酢とかもつけながら食べるけど、正直無くても全然困らないレベルで野菜が調理される。
今の文章、「正直無くても全然困らないレベルで」ってあまりにありふれた語順で、書きながら飽きていた。「正直」と打ち込んだ時点で脳内には「無くても全然困らないレベルで」というフレーズがスタンバイしており、それを自覚して「このままだと超ありきたりですよ~」「文章をたくさん読んでいる人にはバレますよ~」というアラートが出たけど、あえて一旦無視して踏み込みたくなってしまい、そうした。でも我慢できなくなって今こうして弁明している。
ともあれせいろはいいですよ。最も大きな驚きを与えてくれたのは大根かな。甘すぎて、「大根 糖質」で検索してしまったぐらい。最初はビビって小さめに刻んでしまったけど、かなり柔らかくなるからむしろ大きく切ったほうが食べやすい。おでんの大根みたいなサイズがよい。
あ~、早く次の食事の時間を迎えて大根を蒸したいなあ。

 

1月29日
昨日の日記で「大根をせいろで蒸すときはおでんの大根のようなサイズで切った方がよい」と書いたが、これは言い過ぎたかもしれない。高さを4センチほどにして、円に対して4等分するようなサイズがいい。火の通りと食べやすさ・掴みやすさのバランスの都合だ。こんなに律儀に書いて誰のためになるのか分からないが……。

 

1月30日
夜。明らかにやらなくてはいけないことがあるんだけど、あえてそれを「無視してよし!」と自分に命令し、好きなように調べ物などしていたら、ふとした瞬間に「本当はやらなくてはいけないよ」と思い出されて、うわあああと声が出てしまった。結局今もやってない。これから寝る。やらずに別のことをするぐらいなら寝てしまおう。最近はそういう考え方になってきた。
そうやって寝るとき、後ろめたさが気持ちを覚醒させてくる。そんな葛藤に抗う方法もある。「私はもう何も考える必要がない」と思い込むのだ。Aに対して「not A!」と言うだけの安直すぎる処方だが、案外効く。「もう何もしなくていい人生になったんだ~」と思いながら目を瞑っていると、いつの間にか眠れる。起きてから絶望すればいいのさ。

 

1月31日
昨日の日記に書いた「やらなければいけないこと」は、電車に乗っている時間を駆使して少しずつダメージを減らし、日付を跨いだ頃にはなんとかできた。まあ日付を跨いでいる時点で間に合ってはいないのだが、日本が極東にあることを考えれば本邦での日付変更に厳格である必要はないだろう。むしろ今後を考えれば、電車にノリながらでも作業できることに気づけたのが大きい。(なんでこの文脈で「乗りながら」がカタカナに変換されるんだよ)
今からヤクルト飲んできます。

はー ヤクルトうますぎるンゴ

 

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