2024年1月7日 荷造りアセスメント

モンゴルナイトフィーバーを聴いていたら、ヤスミノさんが引っ越しをするようなことを言っていた。

ヤスミノさんといえばついこの間引っ越しをしたような印象だったが、直後にバーグがオフィスを移転したため都合が悪くなったらしい。不憫である。

今の家は広くて気に入っている、みたいなことを聞いており、そんな広い家は見てみたいなあと思っていたところで引っ越し情報を耳にしたので、「引っ越す前に行きたいです」と連絡したら「来るなら今日です」となったので、行った。というか、引っ越しの手伝いをすることになった。

行ったらたしかにめちゃくちゃ広くて、窓からの景色も私好みといった感じだった。思うままに「広いですねー!」「景色いいですねー!」「ここに収納あるのいいなー!」などと褒めていたが、「でもヤスミノさんはもうこの部屋を去ることになるんだよな」と気づいてから無闇に褒めるのをやめた。新しい家の写真を見せてもらったが、そちらについては「なんか変ですね」としか言えなかった。なんか変だったから。

ともあれ任務は引っ越し作業である。

部屋にものはたくさんあるけどいずれもあるべき場所にあり、掃除の必要はないながらも梱包する手間がたくさんあった。したがってこの引っ越し作業における私の役割は、ものの処遇を判断する必要のない単純作業と、やるべきことについて「やりましょう」と言うことだった。後者については「鼓舞」と言ってもいいかもしれない。

私自身、自宅の掃除をしていて「ちょっとめんどいけど後でやればいいか……」と思うことはよくあるのだが、それを容認していい事例は一つもなく、今回のお手伝いではそれを他人事として「やった方がいい!」と断言できる立場だったので、最後までそうあろうと意識していた。「ここも今やっちゃいますか!」と4回ぐらい言った気がする。

https://twitter.com/yasumino_boy/status/1743930185202954393?s=46&t=GAYQocJeM7Z9ktwnIGQUCQ

植木鉢がこんなことになったときは、漠然と「もうダメだ……」みたいな空気になりかけたが、私の仕事は鼓舞だったので、「一見だるく見えるけど作業の手数は少ないですし大丈夫でしょう!」というテンションで励ましていた。根拠はないが、停滞してはいけないから。

結果、なんとか大丈夫かなという形に落ち着いた。よかった。間の休憩を挟みまくって、トータル11時間以上滞在していた。

帰り際、ヤスミノさんがお駄賃をくれた。こちらが遠慮しないようにあえて「怪しい取引をしている人」みたいな冗談まじりの渡し方をしてくれて、私はお金をいただいてしまうありがたさと、形式としての冗談につっこみたいという意識が同時に生まれた。

今考えると、最も無難な反応は「いや悪いことしてるわけじゃないんですから!(笑) てか本当にいただいちゃっていいんですか!? すいません、ありがとうございます……!」とかだろう。

しかしそのときの私は、怪しい取引の所作をシンプルに否定するのではなく、「健全な手伝いなんだから後ろめたくないでしょ!笑」と少し捻った方向で考えたうえで、「いただくとしたら私も誠実に受け取るべきだ」という礼節を同時に表現しようとし、それらをミックスした一言の出力を試みてしまった。

その結果、「ちゃんと渡してくださいよ!」と言った。

言ってすぐ、大失敗してるな〜と思った。声に出すとよく分かる。前述の思惑はすべて打ち消されており、ただ「お金のやり取りは流石にちゃんとしませんか」とたしなめるような発言になっている。表せていない文脈をここで埋めると、「(悪いことしてるわけじゃないんですから)ちゃんと(=堂々と)渡してくださいよ!(笑)(そうしてくれなきゃこっちも無愛想に受け取ることになって、礼儀正しく受け取れないじゃないですか!笑)」となるんだが、そんな圧縮変換効率は実装されていない。

このせいで逆に気を遣わせてしまい、私もここに書いたようなことを1人でベラベラ弁明し、最終的にすごく変な雰囲気で解散した。こんなことになるなら最初から「ありがとうございます!!!」とだけ言ってた方がマシだった。

正直最後の方はかなり疲れていて、自分も相手も何を言っているのか分かっていなかった気がする。一回本当にヤスミノさんが何を言っているのか分からないときがあって、こっちの耳と頭がおかしいのかなと思っていたら、数秒後に「いま全然ろれつが回ってませんでした」と言っていた。本当に言葉が発されていなかったことを知れて安心したし、ヤスミノさんも疲れているんだなと思った。

そんな一日だった。

人の家に行くのって久しぶりだったけど楽しかったな。引っ越しを手伝うのも楽しめた。

そして、引っ越し作業は絶対に2人以上でやった方がいいと思った。家具の取り外しなどで手の数も必要になるし、ゴールを共有する他人がいることは精神的負荷としてかなり重要だ。私は引っ越しの当事者じゃないが、客観的にそう思った。

もはや引っ越しに限らず、何かをするときに進みが悪いと思ったら、まず人を呼んでもいいのかもしれない。具体的な結果が想定されなくても、動いたり話したりする他者が存在すればどうしても状況は変わるし、その程度の干渉が肝心の詰まりを解消してしまうことも大いにあるだろう。さらに指示を受けるとなると、相手の提案を却下する負担の方が大きくてむしろ前進した方が楽という判断も想像しうる。

私は手順を考えたり指示を出したりすることを苦なくできると思うので、必要な人がいたら声をかけてください。事務的な作業をデジタルでこなせる時代だからこそ、人の存在そのものというリソースを潤沢に使っていいんじゃないかと思う。

なんか小難しく書いてしまったけど、結局は高校生が集まって勉強会をしているような話なのかもしれない。