2024年3月15日 新しい会話

1玉1000円の「はまさき」というみかんが半額になっていたから買った。値段の割に飛び抜けてうまいわけではなかった。

やっぱりみかんって当たり外れあるよな。文句ではなく、そういう性質なのだとたしかに思う。高い果物って甘さ至上主義みたいなところあるけど、私は酸味が好きだから、みかんに関しては10玉500円とかのやつが結局安定してうまいと思ったりする。好みの話。

高い買い物だったが、こういう確認ができると腑に落ちる。いつか本当にうまいはまさきも食べてみたい。

最近もはや聞くこともないけど、「オチのない話をするな」という意見がある。

この主張は雑だ。正しい・正しくないというレベルの前に、そもそも会話において「オチ」がつくことなんてほぼ無いから。

そういう主張をする人が本当に求めているものは、反応の選択肢ではないか。オチがついているなら、「笑う」や「ツッコむ」という選択肢がある。それは反応する側にとって分かりやすくて、楽だ。だからオチのつく話を求める人がいる。

笑ったりツッコんだりする以外にも、意見を言ったり、共感したり、否定したりという選択肢が成り立つこともある。そういう何らかの選択肢を分かりやすく提示しろ、というのが「オチのない話をするな」の真意だろう。

いわゆる聞き上手とは、話題に応じたイレギュラーな反応ができるということだと思う。分かりやすい答えがなくても疑問を見つけて問いかけたり共感したりすることができる人。

それを踏まえて、話がつまらない人というのは、分かりやすい反応を提示できない上で、イレギュラーな反応を受け入れられない(と思わせる)人だと思う。例えば否定をしたら怒る(かもと思わせる)人。

分かりやすい反応を提示できないことと、イレギュラーな反応を受け入れられないことのどちらがより課題たりうるかというと、後者だ。分かりやすい反応を提示できないだけなら相手が聞き上手であれば会話は進むが、イレギュラーな反応を受け入れる器がなければ聞き上手の能力を無効化してしまう。

「こいつにはどんな反応をしてもいい」と思わせることができれば、「話のつまらない人」ではなくなる可能性が高い。それでも人によってはつまらないと思われるかもしれないけど、その場合は聞き手の能力不足(話を面白くするための反応力不足)ということが考えられる。

ただ、「こいつにはどんな反応をしてもいい」と思わせるのは非常に難しい。表情とか抑揚とか日常の振る舞いとかの問題になるから。むしろこれが一番難しいし、実現したら一気に「面白い人」に近づく可能性すらある。

また、当然だが「されたくない反応がある」という感覚も尊重されるべきだ。そういう人は話がつまらないと思われても問題ないし、むしろそう思われることが防衛になることもある。たびたび言っているが、そもそも「面白い」という感覚は本質的に反社会的な一面もあって、無条件に良いものとすることは全くできない。全員が面白さを求めたら国家は一瞬で滅びる。

こういう感覚を煮詰めて言語化した上で、小中学生向けのテキストを作りたい。その頃からの訓練が大切だと思うから。