
大腸検査後食「ケアミール」から始まる1日。

見た目はびっくりするほど質素だが、検査前の食事よりは味が濃くて美味しかった。

間食用のゼリーも食べた。
こんにゃくゼリーを粉砕したようなブルブル感が美味かった。

普通にうどんも食べた。
規定の倍ぐらいの時間煮て柔らかくした。全ては腸のためさ。
大腸検査後食「ケアミール」から始まる1日。
見た目はびっくりするほど質素だが、検査前の食事よりは味が濃くて美味しかった。
間食用のゼリーも食べた。
こんにゃくゼリーを粉砕したようなブルブル感が美味かった。
普通にうどんも食べた。
規定の倍ぐらいの時間煮て柔らかくした。全ては腸のためさ。
〜あらすじ〜
ひょんなことから大腸の内視鏡検査を受けることになった鬼谷は、腸を空っぽにするために薄味で少ない食べ物を食べていた……。
検査当日。9時に起床。
15時からの検査までに腸を完全にきれいにするため、食事の禁止はもちろん、起床直後から下剤の服用が義務付けられていた。
液体の下剤「サルプレップ」を使った。これをコップに120ml注いで10分かけて飲み、次に240mlの水(サルプレップの倍量)を20分かけて飲む。これを6回〜8回繰り返す。つまり3時間〜4時間、ちみちみと液体を飲み続けるだけの時間を過ごす。
その間ひたすら便意が催される。最初はゆるい便が出るが、やがてほぼ液体のものしか出なくなる。尻から出る尿みたいなものだ。しかも勢いがすごい。水圧でコピー用紙を切れそうだと感じた。
その尿みたいなものにも最初は便のカスが含まれていたのだが、3時間経ったころにようやく完全に透明の状態になった。これで検査を受けられるコンディションが整ったらしい。
あとはひたすら、検査が終わるまで空腹との戦いである。
なんせ前日は少量の流動食しか食べられず、最後の食事からは18時間経っている。
破壊日和を更新した。
これまでに書いた記事のざっくりとした紹介と、連絡フォームの設置。
記事の紹介は、どうせやるならもう少し丁寧にやった方がいいかもしれないと感じた。今そう感じた。いつか修正する。
連絡フォームも急ごしらえなので、今後ちまちまと修正していくかも。よしなに使ってください。
いかん、修正を前提としすぎている。これはネットを使ったコンテンツとしての甘えだ。
そういう点ではスプラトゥーン3もなかなか看過できない(とばっちり)。
安くてうまい弁当屋。
唐揚げは2個100円、味噌汁は50円だった。
とんかつ。先輩と食べた。
お互いずっと病気の話をしていた。
コカコーラが冬季に出す自販機限定スープ商品「GO:GOOD」シリーズが発売されていた。もうそういう季節ということだ。
見かけたのは新作のチキンジンジャー。
かなり生姜が強くて辛かった。
寒くてどうしようもないときにはありがたいかもしれないが、積極的に2回目を飲むことは無いかな。
昨日買った肉まん。
肉まんだけだと思ってたら、あんまんも入ってて「ラッキーだ!」と思った。
正直に言います。
この肉まん、昨日の夕方ごろスーパーで見た時点では定価で、でも消費期限が翌日だったから「数時間待てば値下げされるな」と思って帰宅し、5時間ぐらいしてからまた行って3割引で買いました。
わかってます。自分みたいな者が落ちる地獄があることは。
地獄めし。
先週検査を受けた循環器内科の診察に行った。まあ今のところ問題ないらしいけど、将来どうなるんだろうな。
診察を終え、待合室で座っていたら、1人のおじいさんが窓口に呼ばれていた。そこで看護師に「次回は1年後なんですけど、予約のご都合どうですか?」と聞かれると、「1年後、あはは。いつでも大丈夫だよ、あはは」と笑っていた。
特に面白い話ではないからただそういう癖がある人なのかなと思っていたが、予約を決めたそのおじいさんが私の後ろの席に腰かけ、「1年後も生きてるのかね」と小さく呟いたのを聞き、なるほどねと思った。
病状は知らないが、そういう気分になるのは分かる。
せっせと働くお掃除ロボットを発見。
遅めの昼はベルクでカレー。結構辛くて鼻水が出た。
両サイドに座っていた人たちも、それぞれ鼻をすすりながら食べていた。
鶏むね肉だけ入ったスープカレー。
鶏むねは先に単独で下茹でして、一旦あげて粗熱をとり、その間に茹で汁とスープカレーの素を合わせ、やがて冷めた鶏むねを手で割いてスープカレーの鍋に入れ、改めて煮た。
少し手間だったが、その分うまかった。
蒸したじゃがいもを途中で投入した。
やはりじゃがいもとカレーは合う。
今後、あと3回は病院に行くことが確定している。3回で済むのか分からんが。
朝。昨日作ったごはんを温めて食べた。
最近、あらゆる検査を受けまくっている。
体のいろんな部分が正常でない。
今日も検査を受けた。
検査ばっかり!(クルム伊達公子)
このフレーズ、今適当に出した冗談じゃなく、本当に脳内で一日中リフレインしていた。
朝からずっと、検査を受けている間も、心の中のクルム伊達公子が「検査ばっかり!」と言っていた。面白いっちゃ面白いんだけど、うるさかった。
検査後のラーメン。有名なところらしく、少し並んだ。
ベローチェばっかり!
夜はこの2つを食べた。
見栄えが良くなかったので写真は載せないけど、うまかった。
スープ時代、来てます。
チェンソーマンのアニメ開始を受け、Twitterでは色々な感想や考察が散見される。すでに漫画として存在している物語だが、映像化したことでまた考察の余地が生まれるというのはすごい。
そんな盛り上がりを受け、私は自分自身について「作品を楽しむことと考察することを両立するのが大変苦手だ」と気づいた。(ここでの考察とは、漫画ならセリフや地の文で語られる事よりもさらに深く物語の背景などについて能動的に情報を並べ推察することをざっくりと指す)
考察という行為自体は苦手じゃないと思う。大学では考察みたいなことばっかりしてたし、それを楽しむこともできていたと思う。むしろ好きなぐらいだ。
ただ、作品を考察しようとするとき、その作品は私にとって「考察という遊び」のための道具になってしまう(私は精神的に不器用なので、そういう態度が考察に対する誠意だと考えてしまうのかもしれない)。
そうなると、少し寂しい。せっかく自分の好みにはまる作品と出会えたのに、訳もわからず興奮して楽しむということが難しくなってしまう。だから、ハマっている最中の作品についてはあえて考察的な読み方をしないようにすることがある。他者の考察もあえて真に受けない。触発されて自分の思考にもエンジンがかかってしまうから。
漫画なら、絵のうまさやセリフのカッコよさを刹那的に感じて「かっけえ……」とただ震えるのを繰り返している。
これらのことについて見方を変えて考えると、私の場合は「作品への関心」と「考察の動機」が特に結びついていないのだろう。むしろ考察はそれ単体で楽しめるので、作品の好みはあまり関係ない。万葉集とかの適当な一首を渡されて「考察せよ」と言われる形で充分だ。
あと、そもそも好きなものについて子細に理解したくないのかもな。私は理解できないものを好きになる癖があるから、対象のことを知れば知るほど好きな気持ちは薄れていく気がする。
バカっぽいが、「なんかわかんないけどすげー!かっけー!」という気持ちこそが私の愛の軸の一つなのかもしれない。
逆に好きな何かを積極的に理解しようとするとき、それは愛を深めようとしているのでなく、腹を括って自分の技術や知恵として吸収しようと考えているような感覚がある。そんなことしても狙い通り身につくわけではないが。
と、ここまでぐだぐだと言い訳チックに述べたけど、作品を主観的に楽しみつつ考察するコツなどご存じの方がいらっしゃいましたら、ご提案くださると幸いです。実行できるかは私の能力的に不明ですが、やっぱりみんながあれこれ意見を言い合っているのが純粋に羨ましく感じるときはあるので……。