2023年8月4日 遅習難航梅

過去の日記をずんだもんに読んでもらった。私の文体だからずんだもん口調ではないけど、お仕事として私の文章を読んでもらっている感覚だから倫理的には問題ないと思っている。ただずんだもんの声や語り口が好きでキャスティングした。

こうして聴くと、自分の文章を客観的に読めて面白い。今後もたまに投稿しようと思う。

「マツコデラックス氏の発言はごくセクハラ的だが、特別扱いされている」という旨のツイートがあった。それに対する同意の反応として「アップデートできていない」「周りの人も受け入れざるをえない空気がある」など。

氏の振る舞いが最新のセンスに則っていないのはわかる。しかし、それはアップデートできていないわけではないと思う。氏がその空気を察知していないはずがないし。

意志を持ってああ振る舞っているというか、一時代にはたしかに求められていたユーモアや人格を一貫して提供し続けているのであって、その需要が終わりを迎えつつあることは承知の上で、あとは世間の判断に身を委ねているのだと思う。だってもうどう考えたって「干されたくない」みたいな感情を持つ立場じゃないじゃん。最後に「マツコの価値観もう終わってるよな」と文句を言って愉快にさせるところまでエンタメとして与えることを受け入れているんだと私は思っている。一方で、受け取り手にもそういうアップデートをしない層は引き続き存在するだろうから、(本人の狙いに関わらず)需要が本当に消えることはないと思う。

生き延びることを最優先事項とする人は多く、炎上という状態がありふれているのもまさにそういうことだが、実はそうでない人もいると考えられないと腑に落とせなくなるというのはある。しかしそれを主張するのは反社会的とされるから、そういう人の多くは黙っているのだ。それぞれ自分の問題であって、他人をわざわざ早死にさせたいわけではない(というかそのような他人に何かをはたらきかけようという関心がない)から。それぞれの優先事項に従って生きる権利を阻害されるときの主張はまた違うが。

私は氏の都市に関する感覚や態度が好きだから番組はよく見るし、「夜の巷を徘徊する」も復活してほしいと願っている。

私は勉強がヘタクソだなあと昔から思う。万事において自覚が苦手だから、いくつかの方法を試しても何が効果的なのかを判断するのが遅い。今日新しい方法を試して、今までのやり方を否定したくなるような感覚があり、喜びつつ呆れた。

想定より習熟は遅いが、苦しんでいるわけではない。いっそ今回の過程で学習とはどういうことかを体得してしまいたい。

小中高から大学まで卒業してまだこんなこと言ってんのかよ自分、と思わなくもないが、できていないことなのだから認めるしかない。

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