2022年3月8日 裏表の無い男

相変わらずAdoの曲を聴きまくる日々である。
音楽アプリの再生履歴は、遡れる限界までAdoで埋め尽くされている。

そんな生活を送る中で、今日ふと思い出したことがあった。

この世には「裏声」というものが存在する、ということだ。

理屈は分からないが、声帯の振動を無視するように出てくる声、それが裏声。私はこれを意識して出そうと思ったことがないので、完全に忘却していた。だから様々な場面で発されている他者の裏声についても、それが裏声であるとは気づかずに生きてきた。

しかし最近Adoのインタビュー記事などを読み漁る中で、Adoが具体的な歌詞を指して「ここはこういう理由で裏声を使って……」などと言っていることを知り、それを踏まえて曲を聴いて「これが裏声か!!」となったのである。そして「裏声を使えば、地声では出せない高い声も出せるのか!!」となった。

「そんなことも分からないでよく聴き続けてきたな」と思われるかもしれない。
私は本当に、ただ音を聴いているだけなのだ。

だからその発声方法がどのように分類されているかなど考えなかったし、さらにはどんな言葉が発されているかということもあまり興味が無い。歌詞の意味を解釈しないということである。
それぞれの曲がどんなことを語っているか、全然知らない。これはAdoの曲に限らず全ての音楽に対して同じだ。ただ聴いていて心地いいと感じる音楽を聴き続ける。

そんなわけだから、いわゆる「恋愛ソング」「失恋ソング」「応援ソング」みたいな括りも全く把握できていない。
一つだけ分かるのは、長渕剛の『巡恋歌』が失恋ソングだということだ。これは私が中学生の時にハマっていた曲で、ちょうどその頃好きな女子に告白して振られていた同級生に「これ聴いてみて」とiPodを渡してその場で聴かせたら彼がポロポロ泣き出したという事件があった。だから失恋の曲だと認識している。

結論として話を戻すが、私は裏声を使えるようになりたい。そうすればジャニーズに近づくことができるはずなのだ。

実家から取ってきたハムが冷蔵庫の奥で発見されたが、賞味期限が2ヶ月前だった。いつか景気のいい時に食べようと思って大事に取っておいたらこの有様だ。

においを嗅いだ限り全然いける感じだった。こういうものは「におい」と「不自然な粘り気の有無」で判断するのがよい。

野原しんのすけの横顔。

最近みくのしんさんの日記でベーコンエッグが出てきて、それがすごくうまそうだったので目玉焼きもこしらえた。いずれもうまかった。

卵の安さ・栄養価・食べ応え・汎用性・保存のしやすさは、卓越している。隙がない。
こういう食材が存在してくれて本当に嬉しい。

ありがとーーーーーう!

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