非常に珍しく、朝に松屋へ行ってみた。
奥のやつはとろろだ。
松屋の豚汁はなんかすごく美味い。
味噌が濃いというか、密度が高いというか、味噌の粒子が満遍なく行き渡っている感じがする。
しょっぱいわけではない。
こういう味噌汁好きなんだが、どうやって作るんだろう。実家の味噌汁も割とこういった特徴があり、親に「どうやって作ってるのか」と聞いたり実際に作っている様子を見たりしていたが掴めていない。私がよく言う「2日目の豚汁」はこれと似た状態に近づいているのだ。
手がかりをご存知の方は気軽にコメントしてください。
昨日久しぶりに図書館へ行き、なんか良かったので今日も図書館にいた。
私はこういうところがあるよな。同じものを2日連続で食べたり。そういや昨日も松屋の牛丼と豚汁を食べていた。
今日ふと思い出したのだが、私は高校の頃かなりの頻度で図書館に行っていた。本を読むわけではなく、ずっと勉強していた。特に2〜3年生の頃は、帰宅する前に図書館へ寄って勉強してから帰るという流れがあった。土日も暇だから図書館に行ったりしていた。
忘れていた習慣だった。過ごした時間の割に大した思い出も無かったのだろう。
思えば、私は中学高校時代に結構勉強していたのかもしれない。そんなことないか。どうなんだろう。当時の自分は別人みたいで分からない。
でも、科目の知識を身につける「勉強」という行為はすごくヘタクソだった自覚がある。
だから図書館に行って手を動かしていても成績にはほとんど結びついていない。日本史と世界史が苦手だったから何よりも取り組んでいたけど、赤点を取りそうになったこともある。
何も考えていなかったんだよな。
世界史も、それが私自身の住む世界で起きたことで、人間が実行してきたことだという認識がなかった。
ただ「世界史というものがあるから覚えなきゃいけない」と思っていた。文脈を感知する能力が完全に欠如していたのだ。最近になって「恐竜ってすご……」と思ったりしている。
まあ結論としては、勉強的な時間は多く過ごしていたけども、実際の価値を伴う勉強はそこに発生していなかったという話です。
昔も今日も、図書館に居ただけ。
夜。
家の近所の定食屋は食券制で、選択肢の中に「カレー」と「カツカレー」と「チキンカツ定食」がある。
私はチキンカツカレーが食べたい。
しかしその選択肢は食券の中に無い。
でも、作れるよね。カレーとチキンカツがあるんだから、要素は揃ってるよね。それにカツカレーがあるってことは、カレーの上に何か乗せても無礼じゃないってことだよね。
と思ったので、店員に「チキンカツカレーってありませんか」と言った。
すると「ああ、すいませんチキンカツカレー無いんですよ〜」と言われた。まあ無いよな。だって無いんだもん。
でもどうにかして生み出せないだろうか。今は無いかもしれないけど絶対に作れるんだから。もう俺の中では、チキンカツカレーを作る方程式は成立しているのだから。
「同感だ」
ガリレオ先生……!
チキンカツ + カレー = チキンカツカレー
ガリレオ先生が導き出した答えを見た店員は、ハッと目が覚めたような顔で「カツカレーのカツを、チキンカツにしますよ」と言った。
「カツカレーの食券を買えば、そのカツをチキンカツにしてくれるってことですか?」
「はい」