締め切りに追われているときって、悲しくなる。
締め切りを持たない全ての人類が恨めしい。
昼は近くの定食屋でチキンカツカレーを食べた。
先日書いた「チキンカツ定食とカツカレーがあるのにチキンカツカレーは無いから、その旨を店員に聞いたら『とりあえずカツカレーの食券を買っていただいて、渡すときに言ってくれればチキンカツに変更しますよ』と答えてくれた」というやつを再び実行したわけだ。あの日の日記ではここまで丁寧に書かなかったが。
チキンカツカレー最高です。人生が好転した。
あと炭水化物は普通に摂ることにした。
とりあえず俺はじゃんじゃんメシを食べた方がいい。肉つけなきゃね!
夜。日高屋へ。
なんか写真がズレてるな。
もうモリモリサービス券は無いから、普通盛りで頼んだ。
店員の声がめちゃくちゃアニメ声ですごかった。
たぶん中国の人で、日本語はかなり上手だけど外国語として一生懸命はっきり話している感じでもあったから、それがさらに声の印象を引き立てていた。日高屋全体の空気がいつもと違ったな。場を支配する声だった。
俺は萌えていたわけじゃないけど、萌えていた人もいるかもしれない。いずれにせよみんな「この子は頑張っているから、負担にならないようにゆっくりはっきり注文しよう……!」という気持ちになっているのが伝わってきた。
一生懸命発音するというのは、偉いことだ。
俺の注文はその店員が取ってくれたのだが、
俺が「タンメンひとつ」と言ったら
「はい、野菜たっぷりタンメンをおひとつ!」
とフルネームで繰り返した。
普通、自分が母国語以外で注文を取っているときに「野菜たっぷりタンメン」のことを「タンメン」と略す客が来たら「ラッキー、めんどくさい部分を言わなくて済むぜ」と思うだろう。
実際、出来たタンメンを持ってきた男性店員は「やさ……、タンメおまたしゃたー」
ぐらいの雑な発音だった。
あのアニメ声の店員は日本語が好きなんだと思う。日本語を話すこと自体を楽しんでいるように感じた。
どこかの1人席への提供で「おまたせしました! コーラです!」とはっきり大声で言っていたのはなんか感動したな。俺も少しコーラ飲みたくなった。
同時に、これがさくらももこの世界だったら「(やっ、やめろよお!俺がコーラを頼んだことが全員にバレバレじゃないかっ。ああなんで俺はコーラなんて子どもみたいな飲み物を頼んだんだろう。バカバカッ)」となっているだろうなとも思った。
最近のちいかわ、ナガノさんのぶっ壊し衝動を少し期待してしまう。
感覚をあえて明文化すると、私が期待しているぶっ壊しとは、モモンガがちいかわ達に対して乱暴な振る舞いをするということではなく、そろそろモモンガが元の姿に戻るということである。
これは考察や予想ではなく、あくまで期待だ。
あのでかい怪物の姿になってしまった真モモンガの逆転を、私はずっと楽しみにしているから。
ちなみに本来のモモンガの中身もそんなに良いやつではない気がするんだよな。「返せッ」のときめちゃくちゃ怖かったし。
子供からのメッセージ(手紙)、という文脈において「パパはわたしのヒーローだよ」みたいな文章が散見されるが、あれには違和感がある。
ヒーローっていうのは非常事態を通常に戻す役割なイメージだから、一般的に子の日常の土台を形成している親というものは、ヒーローにそぐわないのではないだろうか。
どうだろう。世の子供たち。
君の親は、本当にヒーローかな?
「え、ヒーローだもん」
「本当に? 君が何か困って、助けてくれたりしたの? 仮に君のような歳の子供が誰かに頼らなきゃいけないほど困るような状況になるとしたら、それって保護者にも責任が生じていないかな?」
「じゃあ、パパはヒーローじゃないの……?」
「どうだろう? 君が決めることだからね」
「じゃあ……」
「パパはわたしの行政だよ」
「うん、しっくりくる」