2022年6月26日 ハロウィンハロウィン

あっつあつあつあつあつあーつあつあつあつ

あつあつあつあつ

あつーーーい あついあついあついあつい

すずしくなりたい

戸松の鳥もも

うまいけどあついあついあついあつい

夏野菜のトマトソースパスタ

あつうまうまあつあつあつあつあつ

珈一路のモカソフト

あっ……ひんやり〜♪

大学時代の競馬仲間の先輩たちと数年ぶりに集まって競馬をした。俺以外みんな競馬と関わる仕事をしている。

おお……

「片面を10秒だけ焼いて食べてください」とメニューに書いてあって、そうしたんだけど、あまりにも生。ユッケの味がしてうまかった。

以上、競馬で大勝ちしたような写真をお送りしましたが、実は大負けしたのであります!( ̄^ ̄)ゞ

昨日の仕事での失敗から、ずっといろいろと考えてしまっている。

いま自分がやっているライターという仕事は、実は私にはとても向いていないんじゃないかと思う。以前はむしろ「俺にピッタリっしょ!」と思っていたので我ながら意外な考えだ。

というのも、まず人に何かを伝えたいという気持ちがかなり弱いと気づいた。自主的に書いてきた記事はほとんど「自分で読みたい内容」であり、「自分に向けて書いたものをついでに公開する形をとってきた」という感覚が近い。
しかし仕事としてのライターで書く内容は自分で選べないし、伝える切り口も選べないので、このようなテンションで書けることはほぼ無い。「そんなの、仕事なんて楽しくやれると思うなよ」と言われるかもしれないが、じゃあ私があえてライターをやる理由はなんなのかということになってしまう。

そもそも「人に何かを伝えたい」という行為のモチベーションの種類は、かなり幅がある。
「何かを伝えたい」というのは「何かを受け取ってもらいたい」というのに近似すると思うが、その受け取った相手が何を感じるか、というところにまで興味を持つのも大体セットだ。その求めるリアクションの幅がきっと様々だろうということ。そして私は、いわゆる職業としてのライターが期待すべきリアクションを期待していない気がする。
私は物事を面白がるのが好きだけど、この面白がるという姿勢はかなり暴力的だ。いじめのように見られることだってある。たとえ新明解国語辞典を面白がろうとしていても、生か死かでいうと死に近づく行為をしているはずだ。
世に出ている多くのコンテンツもそんな行為を受け入れやすくカモフラージュしたものだと感じるが、最初からそれを求めて作るのか、社会に求められてパッケージ化するのかでは、精神的な負担が大きく変わると思う。

あと私は「利益の損失を恐れて何かをごまかす」という行為が好きじゃない。例えば企業が売るモノやサービスに欠点があるなら、全て簡潔に開示してほしい。でも実際はそんなことをしていたら商品がすぐには売れなくなって経済が滞ってしまうし、随時発生する判断のストレスに消費者も耐えられなくなるかもしれない。
しかし私はその可能性も含めて好きじゃない。真実を伝え続けて滅びる社会なら滅びていい。
これは「今の社会に耐えられない奴は死ね」と言っているわけではなく、みんなが素直に生きられる社会がいいよね、というだけの話である。
すべて漠然とした理想の話。

もちろん私は仕事で嘘をついているわけではない。しかし、言わないということはできてしまう。それが嫌になるときがある。
それも、言うべきことを言っていないわけではない。わざわざ言わなくてもいいことまで俺は言いたくなっちゃっているのである。

だから俺がおかしいのである。

だから仕事が向いていないと感じるのである。

以上。

これが結論ではないし、生き延びるための仕事としてライターは続けるしかない。とにかく今は失敗の後だからこういう気分なのだ。心配無用。

こういう内容、本当はもっとクローズドな形で書くべきだろうけど、それを結局開示するのは己に対する攻撃性の一面でもあるかもしれない。
これは転じて他者への攻撃性にもつながりうると思うので、気をつけたほうがいい気がする。

やはり文章というのは一方的で危険だ。こんなわがままな思考を書いている間、誰にも邪魔されることがなかった。ありがたい権利だが、自省を怠ってはいけない。
と思うと同時に、どこまでも他者に気を使わず物事を考える姿勢とそれを公開する意欲を失ってはいけないという意識もある。自分のブログなんだから好きなように書き続けたいねという話です。

頭良くしようと思ってサプリ買った。

毎日飲んで、この宇宙のこと全部覚える。

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