昨晩、日記を更新してから食べたもの。
ソフトクリームのコーンが食べられる素材で作られているのと同じようなこと。それのワンステップ戻したバージョンだ。
要するに、ごはんってのは炊かれながらにしてお茶碗によそられているんです。
「よそる」「よそう」に関しては、栃木出身の私はマイノリティなのかもしれない。
「よそう」なら「よそわれる」になるからな。
どうでもいい。
大学の後輩が「最近スンドゥブばっかり食べてます。モランボンがおいしいです」と言っていたので、買って食べた。
まあまあ美味かった。豆腐以外にも豚、シーフードミックス(アサリ エビ イカ)、もやしなどいろいろ入れたせいで商品自体の味はよく分からなくなった。
スポーツドリンクとドデカミンを混ぜて売られている商品。そのとおりの味で面白かった。
炭酸は無い。
最近、オロナミンCとポカリスエットを混ぜて作る「オロポ」という飲み物(飲み方)が流行っているので、もうそれっぽいやつを売ってやろうという狙いか。
その前進気勢な魂胆も滲む、元気な味だった。
記事にコメントを載せていただいた。
これ、切るかどうか迷ったことすら無かった。
私とかまどさんだけが「どの条件下でも切らない」という回答になっている。
他の方のコメントを見ると「洗う必要が生じたら切る」「遊ぶ用なら切る」などあるが、特に印象的だったのは「家族として受け入れるときに切る」「タグを切って初めて自分の物になった気がする」というものだった。
自覚していなかったが、実は私はこの感覚こそがタグを切らない理由なのかもしれない。
たぶん、新しく親密な存在としてぬいぐるみを受け入れるのが怖いのだ。
台紙のタグは、それがある限り「商品」としての側面を意識させる。このことが私には一つの安心をもたらす。
大切にすべきものを身の回りに増やすということは、多少なりともリスクだと感じているのだ。
みんなはこんな俺をどう思う?
「結婚できないと思う」
そうですか。