2023年10月19日 (シャイ+シャニ)マス雑記

昨晩、睡眠環境を改革した。

スマホとその充電器を隣の部屋に置くことにしたのだ。隣の部屋というか、台所である。

寝る前にだらだらとスマホを見る時間を無くす、というのも目的の一つだが、それよりも期待していたのは、目が覚めた後にだらだらとスマホを見る時間を無くすことだった。隣の部屋に置けば、どうしてもベッドから出て立ち上がらなければいけない。確実に一度起床できるのだ。

結果、とてもよかった。目が覚めて、天井や窓を見ながらゴロゴロしているうちは時間の進み方が遅い。スマホを見ていれば一瞬で30分過ぎるようなところを、ただのゴロゴロでは10分ほどでも長いと感じる。

これに慣れたらかなり強い気がする。時間が増える。ていうか今までスマホという枷が重すぎた。

有意義な人生を送り始める鬼谷を刮目せよ。

シャインマスカットの子で超うまい甲斐ベリー7(別名サンシャインレッド)がまた別のスーパーで売られていた。案外流通している。こないだのよりは安くて2700円ぐらい。さりとて高級品なので普通に見送ったところ……

見切り品のパックを発見してしまった。枝から切られた粒の詰め合わせで500円ほど。迷わず買った。

同じスタイルでスカーレットも売られていたから買った。食べたことはないが、これもシャインマスカットの子だ。知らない品種を試すにはこの売り方面白いかも。

しかし、見切り品ということは鮮度が落ちているということだから、これで満足していてはいけない。

ベストは木に成っているものを採ってすぐ食べることだ。かつてデラウェア狩りに行ったときはそれができたが、あれはたしかにうまかった。来年は甲斐ベリー7のために山梨に行こう。

仕事をしながらずっとシャニマスの曲を聴いていた。サブスクにあるぶん全てを最初から最後まで。

やはり黛冬優子に惹かれる。芯の強さと「自分はこういう姿でありたい」という雰囲気が魅力的。

最近分かってきたが、私は顔と声と名前をもとに人への好意を抱く傾向が強い。顔と声はともかく、名前で好意が左右されるというのは親のセンスを好んでいるということになってしまうのだが、それでも他人の名前はかなり気にしてしまう。言えないけど、「こういう名前の人のことは絶対に好きにならないだろうな」という名前もある。我ながら恐ろしい。文字と音に支配されている。

黛冬優子は名前が本当に好きだ。別要素だが茨城出身というのも良い。私は勝手に古河か結城あたりの生まれだと決めつけていて、栃木に近いのもいいよな〜と勝手に思っている。

黛冬優子はプロデューサーと話すときに声が低くなるということは知っているけど、あれは本当に低すぎるというか、もはや意識的に裏を作ることでアイドルとしての自分を鼓舞しているように見えた。影を濃くすることで逆説的に光を強くするような。あれが素とは思えない。むしろ家族と話すときはもう少し声高くなるんじゃないかと思った。以上全て表面的な印象でしかないが。

今日、誰もいない階段を登りながら、パフォーマンスにおける黛冬優子のことを想像し、「シャニマス全体のライブで、全員歌唱の曲で黛冬優子が第一声を発することになって、それがつまり全員に対する『号令』の意味を持つことになり、みんながそれに従って歌い始めたら、やばいな」と思って、踊り場で立ち止まってしまった。

なんというか、黛冬優子には圧倒的な信頼を背負ってほしいんだよね。ゲームの性質上難しいのかもしれないけど、内外ともに認める「事務所の一番人気」みたいなポジションになったうえでの在り方を見てみたい。そうなったらガツガツした姿勢で頑張るみたいなことはもう意味がないからできなくて、どうなるんだろう。

知らないだけでもうそういう立場になっていたらごめん、黛。