シャニマスイベントシナリオ「絆光記」の部分的な感想

商品というものはそれぞれある目的のために作られて(例えば映画なら面白いと感じてもらうため、食品ならおいしいと思ってもらったり健康増進につなげたりするため)、その目的を求める人にその商品の存在を知らせることが広告とか宣伝の使命だと思うんだけど、その宣伝が人そのものを媒体として行われる場合には、媒体となる人自身の思考や感情と商品の目的の整合性を求められる性質がある(それゆえにステマというものも成立する)。

消費者は、媒体となる人と商品との関係に必要以上の結びつきを求めると、商品が己の求める目的にそぐわなかったときに宣伝した人への信頼も損ないうる。

宣伝する立場の人としては、多くの人に求められにくい商品を宣伝することは自らの信頼を失うリスクにもなりうる。その人を応援・支持する人にとっても、そういう仕事はしてほしくないと考える。しかし、たしかにある目的を持って作られた商品に対し「多くの人は求めないから」という理由で宣伝の機会を奪っていいとも思えない。

【商品を提供する者→(宣伝する人)→消費者】という経路があるとして、商品に触れた消費者が商品を提供する者(本当は商品そのものだけ)をジャッジするというのが本来の構造なのに、それが倒錯して宣伝する人がジャッジされるリスクを背負うようなことは、あるべきではない。「駄作を消費者の認識する範囲に届けた責任」みたいなものも問われるべきではなくて、そのレベルで商品に文句がある消費者はそもそも世界に商品が存在すること(商品を生み出した者)を咎めるのが筋だと思う。(これらの話はもちろん「商品の目的や利点を適切に告知している」という前提のもとで、情報を偽るなどの優良誤認はないものと考えている)

今回のシナリオにおいて最も明確に助け(協力)を求めているのは「映画(および宣伝担当者)」と見ることもできて、その者の「面白さを求める消費者に価値を提供する機会がほしい」という望みはイルミネーションスターズ(宣伝する人、アイドル)によって無事叶えられている。

映画の評価は芳しくなかったけど、望みどおり価値提供の機会は得られた。一方、イルミネは求められる仕事を完遂したのに損をしている。

第6話で「探したのに見つからなくて」「見つけたのに伝わらなくて」「伝わったのに傷つけて」とあるけど、「伝わったのに傷つけられて」もあるから大変な仕事だなと思った。(ただ、少し戻って見方を変えれば映画の内容さえ面白ければ問題なかったわけでもあって、そうなるとまた「つまらない映画=持たざる者」の在り方みたいな話になる)