三羽いわし定食目的でしんぱち食堂に行ったら、三羽いわし定食だけ売り切れていて、仕方なく殿様いわし定食を頼んだ。悔しかった。こっちの方が三羽より高いんだよ。頼まずに帰ろうかと思った。しんぱち食堂のこともうあんまり興味なくなっちゃったかも。
転職関係の記事を書くことがある。転職はおろか就職活動すらしたことないのに。想像力と文章力で書いている。
転職活動って人に見せるようなものじゃないみたいな印象あるけど、あれ気持ち悪いんだよな。特にSNSとかで勤めている会社を明示している人は、おおっぴらに転職活動をすることはない。ほぼ間違いなく事後報告。あの感じが気持ち悪くてなあ……。いかにも世間体という感じで。
でも、普通黙って転職活動するというのは分かる。明言したところで波風立てるだけだから。私は正論で波風立てる人が好きというだけ。
波風目的で転職活動始めようかと思うこともある。
小学生の頃にそういう感じのことをして、同級生全員の時間を奪ったことがある。
最近、坊主って偉いな、という気持ちになっている。
そもそもおもしろい、つまらないというのは、社会的な尺度においては良し悪しではないと思っている。黄色か青か、みたいなただの二極でしかない。むしろどちらかと言うとおもしろい方が悪寄りで、何もかもが面白くなっていったら、人類のステージは進むかもしれないけど死人は増える。
坊主は、ずっとつまらなくいる。たとえ他人の手を汚させて他人のネタを寄せ集めるスタイルだとしても、あれほどただつまらなくあり続けるのはすごい。つまらなさはどんどん煮詰まっている。これは本当に悪口ではなくて、偉いことなのだ。そもそも坊さんがおもしろくてはいけない。宗教の目指すところはつまらなさだから。そこも踏まえて実直に見える。
それに比べて、という人もいるからこそ、坊主は偉いなあと思うのだ。求められる役割を全うしている。