実家にいた。
最近の日記ではほぼ毎回の食事を写真で記録していたが、実家にいると写真を撮ることを忘れてしまう。
今日もちまちまと庭のことをしていた。
毛虫、芋虫、バッタ、ミミズなどを多く見かけた。手に乗せている写真も撮ったが、生命線の長さが気になったので載せない。
オナガが元気よく鳴いていた。
5羽ぐらいいたかな。上記の生物を食べにきているのだろうか。
水が溜まったバケツの縁に立つオナガ。
水を飲んでいるのか、あるいは水浴びしているのか分からないが、少なくとも気分は悪くなさそうな行動をしていた。
オナガは大きさの割に警戒心が強く、あまり近くで撮影できなかった。
なんか、鳥って小さい方が人に近づく傾向ある?
まあ小さい鳥は人に餌もらったりするけど、大きい鳥は人に関わる必要なさそうだもんな。でも人は鳥を狩ることがある。
オモコロのダ・ヴィンチ・恐山さんに生ライチをお裾分けしてもらった。
『玉荷包』という品種の台湾産生ライチ。
日本では生のライチがほとんど流通しておらず、一般的に食べられるライチはどれも冷凍されたものらしい。私はまずそのことを知らなかった。
そんな日本国内では希少な生ライチを恐山さんが入手して、分けてくださったというわけだ。
貴重な果物をありがとうございます……。(ちなみに上記の写真では1個しか持っていないが、もっと沢山いただいている)
冷蔵庫でよく冷やしてから食べるのがおすすめと聞いたので、そうした。
冷蔵庫に入れるとき、
「あの娘は太陽のライチ Angel♪」
と歌っていて、自分でびっくりした。
冷えたライチを剥いてみた。
硬い皮がわずかに破けた部分から、ぶわっと果汁が溢れてきた。この瑞々しさはすごい。剥くととにかく手が濡れる。
皮の硬さも初めての感触だった。これまで食べてきたライチはどれも湿気ったようにふにゃりとしており、トゲなど飾りだと思っていたが、これは違う。いかにも野生で効果を発揮しそうなトゲだ。しっかり持つと痛い。
果肉は、うまい。ライチの美味しい要素を、雑味を感じることなく堪能できる。新鮮さの成せる味だ。おいしさを探る必要なくダイレクトに楽しめること自体がおいしさを増幅させている。
また、種が非常に小さいことも嬉しい。
ライチの種というのは立派などんぐりのようなサイズが普通だと思っていたが、玉荷包の種は大人の犬歯のようだった。
つまり純粋に身の割合が多いのだ。
この身の多さは、味わいに大きく作用すると思う。
これまでに食べてきたライチは、どちらかというと種の周りについた果肉をかじり取るような感じだった。そして種の周りの硬くなった身だか皮だか分からない部分のエグ味も味わわされてきた。
しかし玉荷包の場合は、可食部を口に放り込み、もぎゅもぎゅと味わいながら種だけを出すという食べ方が容易に行える。食べやすさや一口あたりの可食部の多さというのは美味しさにつながっていると思うので、これも明らかな強みだ。
じつは皮を剥き終えた生ライチを一つだけシンクに落としてしまい、水でよく洗ってから食べたらだいぶ薄味に感じた。
このとき「ライチの白い可食部は表面を包む薄皮との二層構造になっており、その層の隙間に甘い果汁が満ちているのではないか」と思った。水洗いのときに薄皮が破れ、おいしい果汁まで洗い流してしまった可能性が考えられるというわけだ。
つまり、細かく齧るとその度に層の間の汁がこぼれてしまうので、丸ごと口に入れるのはライチを余すことなく味わうためにも合理的なのではないか、という一案である。
とにかく生ライチおいしかったです。
ごちそうさまでした!
それにしてもこんな果物、自然に実っていたら嬉しいよなあ。現地の人たちは学校からの帰りとかに道端のライチをもぎって食べたりするのだろうか。同級生の背後にこっそり近づいて、首筋にライチのトゲトゲを押し当てるイタズラとかしているのだろうか。現地の猿はライチを貪るのだろうか。こんな果物を山で見つけたら大興奮だろう。
台湾は日本から近い割に気候も違う気がするし、日本とは大きく異なる果物観が漂っている気配がある。
逆に、台湾では絶対に食べられない日本の果物などあるのだろうか。どうせなら国内の果物もそういった事情を知って食べてみたいかもしれない。