Ado氏が歌った『ダーリンダンス』ばかり聴いている。
風呂に入らなければいけない時間でも、PCに繋がれたイヤホンを外すことによってこの曲が聴こえなくなってしまうのが嫌で動けなくなったりしている。まさに今この日記はそういう事情によって書かれている。
『ダーリンダンス』の原曲は、かいりきベア氏制作のボカロ曲で初音ミクが歌っている。
私はまずAdo氏が大好きというのがあるが、それ以前にこの曲は相当中毒性がある。私がそう感じた理由について結論を言うと、この曲では舌を弾いて発する音がふんだんに使われている、ということだ。
舌を弾く音というのは、た行・だ行・な行・ら行の音。舌先が上の歯の裏に付く。
みなさんも自分で試してみればすぐに分かる。「あいうえお」と言った後に「ナイアガラ」と言ってみよう。「ナ」と「ラ」を発するとき舌が上顎に当たるはず。そこでインパクトが生じている。
私は刺激の強い音が好きなので、舌を弾く音も大好きだ。また私自身ら行の発音が苦手だからコンプレックス的に注目しやすいというのもある。
そういう音が、この『ダーリンダンス』ではこれでもかと使われている。だから私は中毒性を感じた。
具体的に見ていくと、まず曲名の「ダーリンダンス」がそうだ。3つもある。「ダーリン/ダンス」という意味の区切りの頭でそれぞれダを揃えられているのも露骨に快感で困ってしまう。まあ歌詞としては「ダーリンダンス」という単語は出てこないんだが。
歌詞ではっきり分かるのは何と言ってもサビ。
駄 ダダダダ ダリダリ ダーリン FUNNY
サビ頭からほとんど舌を弾きっぱなし。ずっとトロ。胃が弱いときには聴けないんじゃないかというぐらいに旨味たっぷりである。
それに継ぐ歌詞↓
はい 冴えない愛情論で おねだり
「はい冴えない愛情論で」の部分は舌を弾く割合が減るが、そこで我慢させられたぶん「おねだり」の刺激がご褒美になる。
無無 無無 無無無 無無無 無無無(全て「な」)
ここは言うまでもなくて、
無い無い清純 感情が行ったり来たり
ここは中盤で休んでからの「たり」の連続が気持ちいい。
「来たり」の「き」の発声は、口蓋化といって舌の位置が上顎の硬い部分に近づいている。自ら発してみれば分かるが、「き」で口の中が窮屈になると思う。それを経てからの、口がぱっと開いて発される「た」の解放感。
またこの「き」は本来無声音という、喉を振動させずに発される比較的弱い音だ。そういう音を挟んで発される「たり」は尚更気持ちいい。ただこれはあくまで話し言葉としてはそう発されるという話で、ダーリンダンスの場合は歌唱として有声音で発されている(Ado氏も初音ミクもそう歌っている)けど、私は「来たり」という言葉の「来」に対してそういう印象を抱いているから、勝手に一瞬我慢して気持ちよくなっているセルフマゾ。(無声音について自分の体で体感するには、喉を手で触りながら「来たり」と言ってみると分かる。分かりにくければ「き・たり」と区切って言ってみてもいい。「た」を発したとき喉に振動が生まれるはず。その溜めて放たれる衝撃が快感になっていると私は思う。なお関西の人は無声化しない傾向があるので分からないかもしれない)
ちなみにこの部分、ラスサビでは以下のようになる。
無い無い反応 返答を 期待したり
「期待」「したり」の「き」「し」はいずれも口蓋化する音、かつ本来無声音になる音である。弱・強・弱・強の繰り返しで超気持ちいい。
踊れ 歌え 踊れ ルラッパパ
ここは各単語の2音目が全て舌を弾く音になっていて、メロディーのアクセントもそこに置かれている。鬼に金棒。
曲全体での強弱もあって、サビ前の↓
はーい 目もと以外は隠して
はーい 自撮りは全部加工して
はーい 素顔は全部無くして
これらは舌を弾く音の数が抑えられている印象で、サビを迎える前の大きな助走という感覚。あえてさらっと流している部分というか。歌詞の意味としても、小手先のごまかし(目元以外隠す・自撮り加工)の後ろめたさにあえて触れて開き直るような箇所だから、そういう諦め的カタルシスと相性のいい音の主張の弱さになっているんだと思う。
こんな感じだろうか。もちろん他の部分にも舌弾き音の快感や強弱はあるし、それ以外の音(韻やオケなどを当然含む)の気持ちよポイントは数えきれないほどあるけどね。
そういう要素を持った曲を、Ado氏がさらに気持ちよく歌ってくれていると私は感じたのだ。
以上、考察の名を冠したフェチの主張でした。
ひとしきり書いたら一つ満足したので、観念して風呂に入ってくる。