2023年2月24日 見っ聞きしマス太郎

ここ最近、AIに関する話題を本当によく見聞きする。仕事でも毎日のように目に入る単語だし、私のTwitterのタイムラインにおいては今最大の話題と言ってもいい。

現状私は、これらの技術について利用者として意見を述べるほどついていくことはできていないと思う。趣味で勉強していることがあるから余暇をそっちに割いているというのもあるが、なんとなく他者のレポートを見ているだけで満足してしまっている感があるのかもしれない。

ただ、主にチャット系AIを対象としてひとつ気になっていることはある。

「AIが出力した情報の責任はどこに帰属していくのか」ということだ。言い換えれば「AIはAIが出力した情報に責任を持てるようになるのか」「人はAIの発言をそのまま根拠として信用できるようになるのか」ともなる。

「AIは誤った情報を一切排除(区別)して正確なことだけを言えるようになるのか」ということとも少し違い、もし引用した情報があるならその出典を提示する(できる)のは当然として、AIの発言そのものを「このAIが言っているから」と人が提示することは可能になるのか、という感じだ。例えば現在はあらゆる分野に有識者という存在がいて、その人のこれまでの学習・研究・経験をもとに、発言単体を一つのソースとして頼る事例が大いにある。そういう立場をAIに担わせることは可能なのだろうか。

「AIが出力する情報は全て外部からの引用だから出典を参照しなければ信用できない」とするにも、外部の情報から学習するのは人だってそうだし、むしろ人は学習したルーツをすべて提示できないぶん不透明な存在であることが浮き彫りにならないか。

そういう関心が強いこともあってか、私は「AI技術が見せる独立したクリエイティビティ(それだけで作品として成り立つ出力)」には相対的にあまり興味を持てていない。創作の要素として「手数」と「時間」は大きいもので、それをコンピューターの力で大規模に処理できるなら人力より当然強いだろう、という感覚があるからだ。例えばAIの出力によるイラストが「人間の指は5本、関節が等間隔に2つあって、それぞれ内側に曲がる」みたいなルールに従えているかどうか、という課題はこれまで細々とあったのだろうが、そういう辻褄合わせはもう乗り越えているんじゃないかと思うし、そもそも鑑賞者が認知できる規則の数なんて逐一列挙してもコンピューターにとっては大した負担にならないと思う。それらの要件を対人用に言語化する必要が無いのも強みなのではないか。まあつべこべ言ったところで私が興味を持てていない一番の理由はそれがある程度実現されていることを知ってしまったからかもしれないが。(総じて本段落の記述については「後出しの理屈だろ」と我ながら思うが、既知ということは興味を損なわせるのに十分な要素でもある。あくまで私の日記として「いま個人的に興味がなさげ」と記録しているだけで、AI技術の利用方法として価値が弱いと主張しているわけではない)

そういったものより、これまでの現実に存在した「明確な一つの事実」を割り出せる技術の方が個人的には欲しいし、あれば恐ろしいと感じる。

雑に考えると「いろいろ検索すればいいだけだから実現は簡単じゃないの」とも思えてしまうんだけど、まず求める答えがそのままネット上にあることはほぼ無くて、検索して得た情報を読解しつつ他の情報と連携させて新たに答えを出す必要があるし、前述したようにその情報の信用をどう証明するかという課題もあるし、その技術を社会で扱うことにも難しさがあるんではないかと思う。

個人情報などを割り出す「特定」という行為がある。私もジオゲッサーという場所当てクイズが好きなことから、特定にも共通するような教養が多少ある方かと思っている。

結局特定には、数を当たることが圧倒的に強い手段となるターンが生じうる。例えば個人宅の住所を特定するなら玄関ドアの写真があればストリートビューを使って全ての住宅のドアを見て回ればいつか正解に辿り着けるかもしれないし、部屋の間取りが部分的にでも分かっていれば全ての賃貸物件サイトに掲載されている間取りと照合して候補を絞り込めるかもしれない。「かもしれない」だけでも十分調べる価値が生まれてしまうのだが、これらを人力で取り組むのはかなり現実的でないから取り組む人はほぼいないし、情報をアップロードする各個人もその無理さを信用している節がある。

この無理を無理じゃなくするのがAIなのではないか、と思う。手数の多さと分析の速さは得意分野なはずだから。そうなると、個人情報を保護するには全く新しいネットリテラシーが必要になるというか、画像データなら場合によってはexifの処理なんかじゃどうにもならない情報を提供することになることを把握しなければいけなくなると思う。

しかし、既存の活動を抑制する方向での変容はつまらなそうだし、正直これだけSNSが発達した社会でそういうセーブってどれほど実現可能なのだろうかという疑問もある。

個人情報は知られてナンボ、みたいな意識に変わっていくのが自然な気もする。究極に拡大したムラ意識というか。見ることと見られる(見られうる)ことのバランスが大きく崩れることを認めた上で、自分が見る方の世界で折り合いをつけていくようなイメージがある。治安の維持はまた別のシステムで管理しないと難しそう。

仮想の仮想でだいぶ意味の薄いことも書いておくと、一度でも特定が容易にできる技術が知れ渡ったら(「特定は誰にでも可能だ」ということが認知されたら)、その後そういう技術が一般化しようと規制されようと、最終的には「実際のフィールドで自分の足と目と手を使うのが確実」という結論に至る層が生まれることも考えられる。わずかかもしれないが、良し悪し両面でそういう覚醒を誘発する効果はありそう。

懸念チックなことばかり書いてしまったが、そういう技術が発展することを悲観しているつもりはない。個人の興味のために楽しく使える道があればいいなと思っている。

たくさん書いたけど大したこと言ってない気がしてきたな……。やはり自分でツールを触った結果語っているわけではないから説得力が無い。

そこらへん、AIなら的確な根拠をもって説明してくれそうだから心強い。

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