Twitterのトレンドに「壮馬くん」があったので、これは斉藤壮馬氏のことに違いないと思いタップしたら、案の定だった。このところ私は氏のラジオを聴いているため、少なからず親近感がある。
数多の壮馬くんツイート群を見ながらオタクの感情に共感を寄せていたところ、それらのツイートに含まれるハッシュタグに違和感を覚えた。
#斉藤壮馬生誕祭2023
#斉藤壮馬誕生祭2023
これは、なんだ。
「生誕」と「誕生」が違うだけで意味の差は無いと思われるが、なぜ併記されるのか。あえて言うなら、今回のようにネットで著名人を祝う場合に用いる場合には「生誕祭」の使用例が目立ち、「誕生祭」という表現はあまり耳にしない印象だ。
どうしてこんな無駄な重複が生まれたのか。
そもそもネットにおける「生誕祭」のシェアの背景については、「誕生日」との読みの差別化を図ることで無意識に特別な雰囲気が演出できることが考えられる。本当の発端は知らないが、専門的な言葉の使用を好むネットの傾向においては相性の良いフレーズだろう。一応データとして、Googleで検索ヒット数は「生誕祭」が1600万件、「誕生祭」が1250万件だ。
しかしその裏返しとして「誕生日という単語が超メジャーなのだから、同様に “誕生”祭と揃えるのが妥当じゃないか」という意見も考えられる。それもまあ合理的だろう。そして今回の重複においてはこのように考える派閥が通常より勢いを増したものと考えるが、実態は分からない。
とにかく、文字数がもったいないなとは思う。
などと適当にまとめようと思ったが、両ハッシュタグの趨勢を追っていたら、なんと「誕生祭」の方が明らかに投稿数が多い。「生誕祭」がマイノリティであった。
これには結構驚いたというか、大局観が揺らぐ。年齢層による違いなのか、文化圏による違いなのか分からない。
うーん、そうですか……。
よくわからんな……。
壮馬くんはどう思いますか……。
エレベーターの閉ボタンに「お急ぎの方は、このボタンを押してください」とあった。
暗に「急いでないんだったらわざわざ押すな」と言っているような気もする。だって普通エレベーターってお急ぎ前提で利用されるじゃないか。
それとも、このエレベーターはドアの閉まるタイミングが極度に遅いのだろうか。ちゃんと確かめればよかった。
私はいつも、行き先階ボタンを押す前に閉ボタンを押している。ドアが閉まり始めたら行き先階ボタンを押す。
モテたい人は、こういうことしない方がいい。