イメージ上の彗星みたいな雲があった。
そういえば咳喘息はかなり治ってきた気がする。吸入薬の服用量も減ってきた。
3ヶ月かかった。実はこの症状のせいでしばらく映画館に行けなかった。感染性はないけど、いま映画館で他人が咳してたら怖がらせちまうかなと思って。近々なんか観たい。
映画館は1人で行く場所という印象になっている。中学・高校の頃は友達とも行っていたけど、一人暮らしを始めてから習慣が変わった。
最近は「おひとりさま」「ぼっち○○」とか言わなくなったよね。そういう表現がメディアに飽きられたのか、あるいは言及するに足らないほど普遍化したのか。そういやTwitterで「一人○○ビンゴ」とかあったな。私はどの場所についても「一人じゃ行きにくい」という感覚が希薄だったから、このビンゴを初めて見た時は驚いた。
しかし、今年の初めにモンゴルナイフさんとヤスミノさんとスラムダンク観てきたときはかなり楽しかった。「人と映画見るのも楽しいんだ」と新鮮に思った気がする。あの日は前後もいろいろ話したりして楽しかったというのがあるが。
映画ってもっとフランクに人と観ていいのかもしれない。人と映画を観る行為の意味を薄くする活動。隣に座ることになる他人をなんとなく知人にするだけ、という考え方。「映画館でたまたま隣に座った人と友人関係になる娯楽」と捉えると風俗みたいになるが。
さっき調べた過程で適当に出てきた知らない人のブログ。ブログなのに各マスについて言及せずに済むんだな。少しは言いたくなっちゃうだろ。
「1人献血」に丸がついていないのは、単に注射が嫌いだからではないか。献血は一般的に1人でするものだから、きっとこの人は何人で行こうと献血に丸をつけないだろう。作門が悪い。
最近、演技をしたいという気持ちがある。体を使う演技でも声での演技でもいいけど、自分以外の役に従って動いたり発声したりしたい。純粋に楽しいと思うし、逆に、常時自分として振る舞うのは疲れる感覚が出てきた。
演技は、必ずしも上手くやる必要はないと思う。ていうか、誰かに見せるための演技をしたいわけではない。あくまで遊びというか、自分の「演技をしたい」という気持ちを満たすための演技をする時間が欲しい。
むしろこんなの流行る気さえする。友達同士で公民館とか借りて演劇の練習して、3ヶ月に一回ぐらい少し良い場所を割り勘で借りて、録画だけしてみんなで鑑賞会をする、みたいな。
<記事タイトル>
誰にも見せない公演に向けて稽古の日々!? 今話題の「セルフ演劇」とは
<本文>
(前略)
……そんな活動を楽しんでいる木村さんに、セルフ演劇を始めたきっかけを伺ってみた。
「私は元々演劇を観るのが好きで、特に○○さんの演技のファンでした。とにかく○○さんの演技の真髄を理解したくて、何度もDVDを見たり演劇論の研究をしたりしていたんですが、あるとき恐れ多くも『自分でやってみる』という考え方が浮かんできまして……。恥ずかしさを抱きつつ、鏡の前で○○さんの動きを真似して体や表情の使い方を知り、深夜にひとり感動していました(笑) そんなことを繰り返していたらだんだん恥ずかしさは消えてきて、ふと別の役者さんの台本を読んで私なりにオリジナルの演技をしてみたんです。そのときに『これはこれで楽しいのでは……?』と思ったのがきっかけですね。台本全体の理解も深まりますし、それとは関係なく『自分で演技する』という楽しさがあることに気づいて。この一連の感情を演劇鑑賞仲間のLINEグループで伝えてみたら『最高』『今度一緒にやろう』『1人で楽しみやがって』というリアクションが一瞬で集まり、今に至ります」
という記事が生まれるイメージも見えた。こう「あるある」っぽいものを書くと特定の存在を揶揄しているように見えるかもしれないが、これは手遊びみたいなもんで、むしろこれに悪意を感じられるのならそれは陳腐化したメディアに問題がある(責任転嫁)。
そんなことはどうでもいいんだ!!
演技がしたい。コメディ系かミステリー系がやりたい。録画も見たい。
なんなら、2人以上で集まって15分ぐらいの原稿を読み合わせるだけでもいい。とにかく、もっと気軽に生活の中に演技があってほしい。