夜道を歩いていたら、正面から自転車に乗った男がやってきた。男は、笑い声のような、妙な声を発し続けながらこっちに来る。
まあそういう感じの人かな、と思いながら一応注目していると、近づくにつれその男の状況が分かってきた。
泣いているのである。
くしゃくしゃになった顔で、目を細くして、口は横に引っ張るような形で泣いている。形態としては笑顔とほぼ同じで、それゆえ発される声も笑い声に似ていたのだが、たしかに泣いていた。
さらに、男はスマホで通話していることも分かった。泣きながら発せられていた不明瞭な声は、通話相手に向けた言葉だったのだ。そして、すれ違うときにちょうど聞こえたフレーズがあった。
「でも別れるとか言わないでよお」
男は別れ話を切り出されており、振られたことが原因で泣いていたのだ。
最初の印象から想像していなかった事実が次々に明らかになっていって面白かった。彼からしたらとても面白い状況ではないだろうが。
しかし、彼が振られた理由はなんとなく分かる気がした。
たぶん、別れ話を切り出されても自転車に乗り続けられちゃうようなところが相手は嫌だったんじゃないか。
「別れる」と伝えたら、その場で立ち尽くしてもらいたいよね。別れると言われても移動し続けているのを見たら「ああ、この人が前に進むためには自分はやっぱり必要ないんだな。別れて双方問題なし」と思うだろう。順序は前後しているけど、結局そういう精神性が他の行動にも表れていたのは想像できる。
男はしっかり泣いていたわけだから相手のことがちゃんと好きだったんだろうけど、そんな気持ちだけで成立し続けないのが交際ってものなんでしょう。
本人の自覚できていない性質によって終わる関係もあれば、ときには自覚した上でそれを貫くことを優先して終わる関係もある。命の数だけある「自分」の無数の接触。人と人が出会うって、そういうことなんだよね。
その無数の接触が奇跡的に起こす核融合が、恋の火種になるんだよね。
恋バナってこういう感じですか?