『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観てきました。それに関連したことを書くので、ネタバレが嫌な人だけは読まんといてくださいよ!
読んじゃダメだ読んじゃダメだ読んじゃダメだ読んじゃダメだ読んじゃダメだ読んじゃダメだ読んじゃダメだ読んじゃダメだ読んじゃダメだ
「読みます。」
よし。
とは言っても内容にはほぼ触れない気がするのだが。
前回の劇場版から9年ぶりの新作(=9年越しの完結)らしい。前作のQは映画館で観た。当時私は高校一年生で、クラスの友人らとともに8人ぐらいで観たと思う。私は学区外から高校に通っていたため、映画館も初めて行くところだった。映画への期待だけでなく、その空間にもソワソワしていた。
隣の席には私と同じ地区から通学する友人が座っており、同時上映の『巨神兵東京に現わる』が始まるとしきりに「これってエヴァ始まってんの?」とささやいてきて嫌だった。巨神兵が出てるんだから始まってるわけないだろ。田舎の映画館だったので他の客はほぼおらず、被害者は真横でささやかれた私だけだったことが幸いだが、他人にも迷惑をかけていたら私はもっと居心地が悪くなっていただろう。
さて、今作は新宿バルト9で観た。ここは上京してから最もよく使っている映画館だ。田舎の映画館で緊張していた私が、まさか新宿の映画館に通い慣れているなんて、さすが9年だ。
今作を観て抱いた感想としては「いまアスカやミサトが何を話していて、何が起きているのかが分かるなあ」というものが大きかった。これはエヴァ作品の比較による感想ではない。私自身の変化によるものだ。
エヴァQを公開当時に観た私は、何が起きているのかさっぱり分からないまま、映像や音楽を感覚的に楽しんでいた。そのまえにQ以前の作品をすべて観ていたが、アニメシリーズの中盤からすでにこういう楽しみ方にシフトしていたと思う。
今考えて分かることだが、当時の私には物語を読む能力が欠如していた。小説はほぼ読まず、テレビゲームもストーリー性の強いものを遊ぶ機会は少なかった。映画はもっぱら街や戦場で人が戦い死んでいく作品だけを観ていた。動きの激しい映像を知覚して楽しんでいたのだろう。そもそもエヴァを観始めた理由も、なんとなく有名っぽいし出てくる女の子が可愛かったから、ぐらいのものだ。登場人物が何を考え、何をしようとしているかなど、考えたこともなかった。
普段はラジオを聴くことが一番の娯楽だった。人が体験したエピソードと、それを伝えるために用いられる言葉の技巧を楽しんでいた。
やがて私は大学へ進学した。ラジオをきっかけとして日本語に強い関心を持っていたので文学部を選んだ。物語を読めない奴が文学部に行くというのは変な話かもしれないが、そういった疑念も抱かなかったのが当時の私だ。
そして大学の授業で、一つの作品に対し長い時間をかけて読解・調査・発表をしたことによって、初めて「物語を読み、解釈を行う」という経験を得た。そこで、小説でも映画でも、人物の気持ちや役割を想像しながら楽しむことができると知ったのだ。苦手意識すら無いままに大学で初めてそういう機会を得たと考えると、「物語を読む能力が欠如していた」という先の表現は「物語を読む経験を取りこぼしていた」と改めるべきか。そもそも文学や映画へのこういう姿勢は、娯楽の一環で「もっと楽しみたいから」という動機により身につける場合が多いと思うので、その時点で私は少しズレている気もする。
ちなみに私が大学在学中にどんな文学作品を好んで読んでいたかというと、エッセイばかりである。卒業論文もエッセイを対象にして書いた。ラジオで人のエピソードを聴くのが好きなこともそうだが、とことんフィクションに関心を持ちにくい性癖に育っていたということかもしれない。
そんなプロセスを経て、シン・エヴァンゲリオン劇場版の公開を迎えた。新作を観るにあたって過去作品を観なおしたわけだが、もうこの時点で本当に楽しかった。シンジがなぜ悩み、アスカがなぜ強がるのかを感じるのが楽しい。「エヴァってこんなに面白かったんだ!」と感動した。これはたぶん多くの人が1回目で得ている感動だと思う。過去の私は、テレビのサッカー中継に映るボールを追いかける、茶の間の猫みたいなものだった。その映像が持つ情報、チームや選手や点数や残り時間や勝敗などは一切認知せずに、よく動く光だけを見ていた。
そして、少し賢い猫になった私は今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』もすこぶる楽しんだというわけだ。
要約すると「大学に行ったおかげでエヴァを楽しめました」となってしまいそうだが、そういうわけではない。大学はあくまで経験の時期を示す単語でしかないし、エヴァも個人的な気づきが露見するきっかけとなった作品であるというだけだ。私は9年間の間に物語を楽しむための新たな(しかしおそらく一般的な)視点を獲得し、変化していたということなのだ。「完結したエヴァがどう楽しかったか」という話ではなく「私は年月の経過とともにエヴァをもっと楽しめる人間になっていました」という報告に過ぎない。しかしこれは嬉しく、面白いことだ。そういうことなのだ。
ありがとう、綾波。
急に具体的なシーンに触れるけど、前半のレイ(レイではない)が田植えをするシーンは面白かったな。嬉しくもあった。もう全体的な話の流れからは矛盾する願望になるが、14歳のみんなが楽しく遊んだりしてる姿を見たい。私はフィクションに触れ慣れていないから分からないのだが、もしかして二次創作ってこういう感情を動機として生まれるのだろうか。すでに「草野球をする碇シンジたち」を想像して書いた文章がメモにあるのだが、これって二次創作ということなんだろうか。
エヴァは今日が公開初日なので、巷ではこれからしばらく盛り上がることだろう。その熱で暖をとるように、まだ経験していない楽しみ方を模索してみたいと思う。