ナガノパープルの薄造り。
野菜もちゃんと食べるぞ、という意志の透けた食事。
朝から晩までリュックに縄跳びを入れて移動していた。一昨日買ったプーマの縄跳びである。帰宅時、家の近所の公園に寄って跳んでいこうと考えていたのだ。
22時ごろ公園に行くと、ところどころのベンチにそれぞれ複数の若者が点在していた。誰もが駄弁っている。
駄弁っている若者に囲まれながら跳ぶのは嫌だ。恥ずかしいなどの気持ちはないが、何の義理もない奴らに向けて話題の燃料を提供することは癪に障る。
私はその公園を去り、もっと小さくて地味な公園へ移動した。そこには、ベンチに座って1人でスマホをいじっている男だけがいた。こいつならまあ、いい。
スマホいじりのムードを壊さないよう、彼が背を向けている方に移動し、リュックから縄跳びを取り出し、速やかに跳び始めた。こういうのは躊躇せずに始めるのがよい。始めてしまえばあとは跳ぶしかなくなるから。
静かな公園に、ヒュンヒュンと風を切る音、地面の砂を足が蹴り縄が叩く音が響く。やがて私の呼吸もはっきりと聞こえるようになってきた。
すると、ベンチでスマホをいじる彼が振り返ってこちらを見た。体を捻った彼の視線の先には、砂埃を立てながら垂直に跳びはね続けている私がいる。暗くて表情は見えなかったが、互いに相手の顔を見ている角度であることは分かった。彼は再び正面を向き、スマホを見始めた。
トータルで500回以上跳んだあたりで帰ることにした。ふと足元を見ると、跳ね返りの砂にまみれて靴が白くなっていた。縄跳びは極力コンクリートの上でやるべきである。スマホの彼はいつの間にかいなくなっていた。
皮を剥かないだけで別の果物のように見える。キンカンっぽいだろうか。
果物は、皮を剥かずに済むようになると一気に地位を上げる。剥く手間を省略でき、可食部が増え、ゴミが減るからだ。梨や桃も皮ごといけるようになったら、世界が変わる。
剥かない安藤があの活動を続けるモチベーションってこういう感じなのかもしれない。