2023年9月10日 自我を見てみる

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日記に二度登場させたものの飲まずにいたこれをついに飲んだ。想像の85%の味だった。

 

最近まで、自分の感情に対してかなり無自覚だった。だから今は意識的に自覚しようとしている。

そうして気づいたこと。私はイラストや画像が好きである。

まあ嫌いな人の方が少ないだろうが、とにかく私がそれを好きであるということを自覚できていなかったのだ。これは、自分のTwitterのいいね欄を見たところ驚くべき割合で画像が存在していることを発端に発覚した。

綺麗な絵やかわいい絵を見ると、私は嬉しくなる。せっかく嬉しくなれるのだから、自主的に絵を見ようとしてもいいのだと知った。

今日は、イラスト投稿者専用のTwitterリストを作成した。これまでは他人のリツイートやおすすめ欄に頼っていたが、もっと自分から探しに行くべきだと気づいた。

また、画像編集ソフトを使う練習を始めてみた。イラストではないものの、撮った画像を加工できたらいいかなと思って。そもそも現代のライターなら画像編集など基本的な技術として身につけていなければいけないのだが、私はそれがからっきしだった。楽しく遊べるぐらいまでには使い方を知りたい。

もう一つ、個人的にかなりエポックメイキングな趣味を獲得した。ニュアンスの説明が難しいが、いつか機会があったら書く。今の私の感性にぴったりハマる遊びである。できれば長く続けたい。

 

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日高屋の肉そば。肉は想定より少なかったが、美味かった。

 

保育園時代の同級生の父親が亡くなったらしい。

私はその同級生の家によく泊まりに行っており、その父親にも面倒を見てもらった。職業はトラックドライバーで色々とインパクトが強く、正直ちょっと怖いと思っていたところもあるが、常にパワフルな姿には憧れもあり、子供心に「この人に気に入られたい」という意識があった。

小学校に入ってからは一度も会うことがなかったが、今でもはっきりと思い出せるエピソードが少なくとも3つある。これは色々忘れやすい私の中ではすごいことだ。そしてその記憶は、私が大人として生きていくための糧になりうる。これは、子供の前で生きた大人の姿として偉大な有様ではないか。

ここまでの文章は当人を知らねば読み甲斐がないだろうし、当人を知る者がこの文章を読むこともないだろうが、とりあえずこのような内容を持つデータをネット上に一度でも発生させることで追悼としたい気持ちがあった。祈りとはこういうことなのかもしれない。

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