そぼろ偏り定食、お待ち!
ナガノパープル、1500円。
買うときは喫煙者のことを思う。
「喫煙者という、タバコにお金をかけまくってる人がいる。私は喫煙者ではなく、喫煙者がタバコにかけているお金を私は使っていないから、ナガノパープルに使ってよい」と。
農林水産省がこんな素材を配布していたから画像作って、ハッシュタグ付きでツイートしようと思ったら「水産物の消費拡大に向けた取り組み」と書かれていて、ブドウじゃ荒らしになっちゃうじゃんと思ってやめた。
今日思い出したこと。
小学校のクラブ活動で、各自が計画した実験を個別にやる時間があった。ある日私がやった実験(ほぼ工作)は想定していた結果にならず、はっきり「失敗だ」と思っていた。具体的に言うと、紙コップやストローを使って大きいシャボン玉を作ろうとしていたんだけど、その装置からは細かい泡がブワーッと出るだけだった。
ダメだったなーと思いながら、手持ち無沙汰にストローを吹いて泡を出していた。
すると、そんな泡発生装置を見たほかの児童たちが「すげーーーっ!!」と騒いで集まってきた。泡を見て盛り上がる彼らに「これ失敗なんだけど」と言っても「そうなの?面白いじゃん!」といった調子で、細かい泡を出して遊んでいる。
私が失敗だと思った実験工作を、ほかの誰かが喜ぶ。
その様子を見て、なんか気持ち悪いなあと思った。こいつらこの程度で満足するのか、と。
どっちの感性が上だとか、向上心の有無だとかを主張したいのではない。ただ、同じ対象を見て、こんなに反応が異なるものかと思ったのだ。みんなが何かに騙されているのではないかと思うほどに。まあ私の場合は正解のビジョンがもともとあって、それにそぐわない結果として不満を抱きやすくはあったわけだが。
しかし今でも全く理解できない。なぜ彼らは泡が出るだけの装置に興奮できたのか。
だって、ただの泡だぞ。
タダノバーブル、だぞ。