2022年11月13日 何の意味もない

お腹空いたなー。

献立いろいろみそを食べよう。

アルコール臭い味だった。
熱湯2分なのが面白い。

この商品、正しくは「献立いろいろみそ味まぜそば」である。元となる「献立いろいろみそ」のことは私も知らないけど、名古屋ローカルの調味料商品らしい。

Twitterのトレンドに「高橋名人」とあった。
『アトムの童』という、ゲーム制作会社を舞台としたテレビドラマに出演したらしい。

高橋名人って誰なんだよ、と昔からずっと思っている。ボタンの連打が得意ということ以外何も知らない。そんな人たくさんいるだろう。
私はこの人の活躍を一度も見たことがないが、妙に幅を利かせており、不思議とありがたがられている。私と同年代以下の人々がこのおじさんを好きになるタイミングなんてあったのだろうか。

芸能関係の業界で生ずるこういうギャップ、なんか気になるんだよな。改善してほしいわけでもなく、ただ「ギャップがあるなあ」と思う。

例えばM-1グランプリの審査員。
上沼恵美子とオール巨人は、関東で生活してきた20代半ばの私にとっては知らない年配タレントでしかない。でも確かな実績があるから現役の若手芸人を審査しているわけだろう。

ギャグとかもそうだ。
芸人を象徴するギャグというのは色々あるが、あれはその芸人が面白いということを知っているから受け入れることができるアクションだろう。
面白さが認められて、ある程度の人気を得た芸人だからこそ、ギャグというバッジの装備を認められる。視聴者はそのバッジの掲示を受けて、都度その人の面白さを確認させられる。

現在26歳の私にとって、大木こだまの「チッチキチー」は見るに耐えないものだった。私は大木こだまの面白い姿を見たことがなかったから。私がテレビを見るようになった頃はすでに関東の平場でネタをするような立場ではなくなっていたということだと思うが、しかしテレビを作る世代の人々からは実績を認められているから、ただ大木こだまとしてそこにいてコメントをするだけでもありがたがられている。でも私にとっては知らないおじさんでしかない。何が悪いということでもない、ただのジェネレーションギャップだ。
知らないおじさんが自信たっぷりに親指を立てて「ちっちきちー」と言っているのは、つまらないというか、何でもない。何でもない行為がわざわざテレビで放映されて皆が喜んでいる様子は、居心地が悪かった。

上島竜兵の「くるりんぱ」も、それ単体では全く面白くない。中学校でこれを真似する同級生がいたが、「だから何ですか?」としか思えなかった。ただ私はそれ以外の場面で上島竜兵が面白いことを知っているから、折につけくるりんぱを披露されても一応「よっ!上島!」と思える。むしろ、そのようにこれまでの功績を讃えるための機会としてくるりんぱがあるわけだ。
上島竜兵は死んでしまったが。

いま現役で大活躍している芸人も、じきに若い人からそういう認識をされていくんだろう。
でも今あまり意味のないギャグをしている人って少ないのかな。千鳥ノブの「クセがすごい」はツッコミのフレーズだから、ボケと合わせて都度文脈があるもんな。

パンサー尾形の「サンキュー」とかはあまり意味無いか。言葉の意味はあるけど、それを言っているだけだからな。これは将来の若者にとっては何でもない言動になるぞ。
しかしそのときもそのときで、このギャグを喜ぶ若者がいるんだろうな。古のギャグをテレビで知った小学生が、人差し指を前に突き出して元気に「サンキュー!」と真似する図。見える。それを静かに嫌がる一部の同級生。見える。

関係ないけど、小島よしおが全盛期だった頃、小学校で一番仲の良かった同級生が「ラスタピーヤ」しか言わなくなっていたことがあった。

彼は小島よしおに心酔していたが、オッパッピーの方は全く真似せず、いつも「ラスタッ、ラスタッ、ラスタラスタラスタピーヤ」とばかり言っていた。あれには少しビビったな。

タイトルとURLをコピーしました