2022年12月13日 栗社員

近年、私は人と接するとき、特に顔をよく見ているのかもしれないと思うようになった。私に限った話じゃないだろうけど。

その人を信用できるかどうかについて、顔や表情によって判断する割合がそれなりに大きい。あとは話し方と声。話すことの内容は重要度が低い。

その人自身が興味を持つものをどれだけ自分で疑っているか、あるいは「その人自身が好きなもののことを否定する人」の存在をどれだけ認めているか、あるいは自身が好きなものを他者にも好んでもらおうとする姿勢の無さ、で信用できるかどうかを判断している気がする。そのネガティブな精神的構えを私は顔や声から察していると思う。(傲慢で臆病だからこんな考え方をしてしまっているんだ。そもそも「信用」とか言っている時点でね。相当めんどくさい老人になっていくはず)

食べ物系のお店や活動をしている人で「この美味しさを伝えたくて!」といった猪突猛進パワーを漂わせる人がいるが、あれは怖い。味の好みなんて合わないことの方が多いんだから。好きなら好きで、内的にエネルギーを溜め込み続けている人の方が信用できる。

しかしメディア等で経済的に利益を生み出すなら、ラブ全開のスタンスで「みなさんも是非!」というアピールを誰よりも早く実行する必要があるんだよな。あれが信用できたりできなかったりするのは、その人自身の熱中の容量が満たされているかどうかが関わると思う。

それを満たさなければ情報としての確実性が担保されないということではなく、その人の心の水槽が満たされたうえで溢れてくるような、いわば「飽和」や「飽き」が伴っているかという話で、その人の「捨てるに等しいエネルギー」が我々に届けられているということが安心や信用になるのだと思う。自由帳のページが埋まってしまったから仕方なくキャンバスに手が伸びた、みたいな。その人が求めているのは鑑賞者ではなく余白ということ。

何言ってるか分かりますか? 私はギリギリ分かるような分からないような。結局自分勝手に他人へ期待しているんだと思う。

めちゃくちゃ笑った。生身の人間がコロコロコミックをやる様子って面白い。グレープフルーツジュースを飲みながら見ていたら不意のタイミングで笑ってしまい、果汁が鼻に回って痛かった。

Vジャンプとかでもあるけど、ゲームの紹介をするため担当編集者が奇抜なキャラクターに扮する文化っていいよなあ。憧れる。

登場シーンから栗の姿をした人(クリちゃん)に釘付けで、「この人の見た目おもしろすぎる」「早くクリちゃんメインのターン来てくれ」と思いながら見ていたら、とうとう最後まで矢面に立たず終了してしまい、それはそれで爆笑した。そんな境遇が似合ってしまう見た目であることも面白い。何の担当だったら栗の姿になるんだ。憧れます。本当に。

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