「レンジアップとは?」と思って買ってしまった。まあいわゆる「レンジでチンする」ということなのだろうが。
味ではなく食べ方で選んだことになる。
肉まんという名称を最低限認知して、それの楽に食べられるやつ、と思ったわけだ。
食べ物が話題になるとき、一般的には味について語られる。しかし実際に、あるいは原始的に、食べ物における味の要素はどれほど重視されるべきものなのだろうか。
味覚を通してどれだけ豊かに味わうかでなく、例えばどれだけ時間をかけずに食べるか、という形のグルメはありえないだろうか。
時間の短さは経済的な効率につながるため、道楽としての豊かさに反するとされそうだが、たまたまその都合が一致しているだけの「速く食べることこそ上質な食事」という芸術的な観点は考えられないだろうか。
直感的に下品だから、無いかもしれない。
私は最近、突飛な可能性をばっさりと切ることにハマっている節がある。
くだらない論をだらだらと考えることも当然楽しいのだが、そんな傾向を持つ自分に対するカウンターみたいな思考の形式を楽しんでいる。
朝みたいな夜ごはん。
あ
チェンソーマン面白いよねえ……。
こんな食事で思い出してごめんねえ……。