スプラトゥーンのアップデートで、私の愛用する14式竹筒銃のインク消費効率が向上することになった。これによって、インク満タン時からフルチャージで14発撃てるようになり、本来の「14式」としての性能をやっと取り戻した。
これまでは11発しか撃てなかったからな。
そもそも従来の「インク消費効率を下げる」という弱体化は、スプラトゥーン2で「メイン性能アップ」というギアが竹筒銃の攻撃力を極端に上げてしまったことによってゲームバランスが崩れ、その調整のために行われていたものなので、メイン性能アップが無くなったスプラトゥーン3では竹筒銃のインク消費効率を下げる理由が実質存在していなかったのだ。
今回のアップデートの説明にも書かれている。
前作との差が理由なら、新作として発売した時点からやっておくべきだと思った。
私はこれまでこんなギアで戦っていた。基本ギアに「メインインク効率アップ」を2つも採用している。
この要素が今回のアップデートでカバーされるので、新しくイカニンジャとステルスジャンプを採用しようと思っている。冗談じゃないよ。
恋って面白いな、と最近思う。
恋って何だよ、と思って。
揶揄してるとかじゃなくて、マジで純粋に何なんだよと思う。恋の当事者としての意識が無いから、憧れや羨望混じりに面白さを感じてしまっている。
恋って自動的に片思いじゃない?
両思いの恋ってあるのかな?
あるか。
あとこれは主観だけど、恋は子どもがするものというイメージがある。
大人が恋をしようとしても、あらゆるシステムや経済的な問題が絡んでしまって「恋」の名に収まらない気がする。
そう思うと、恋って、思春期の特権なのかな。
恋の権利を失って、僕たちは大人になるんだね。
実際大人でも恋してる人はいっぱいいるんだろうけど。私が「恋」という漢字一文字の言葉に対して抱いてるイメージが子ども的というだけで。あるいは私のイメージする恋がとても純粋なもので、大人はその純度を保てないほどにあらゆる事情を抱えている、という感覚か。
まあ、これはあくまで名称の話なので。
ナ月さんの記事。1も好きだった。
スイカのてっぺんだけ食べ続けるような贅沢。
こういうエピソードを読んでいると、「自分もこんな風に誰かを惑わせたことがあるのだろうか」と思ってしまう。そんな手応えは今までに一度も無いからこそ、もしかしたらと夢想する。
理想だけの話をすると、私は惑わせる側の人間でありたいと思う。でも、自分が惑わせていることには無自覚でありたい。
だから今のところうまくいっているのだ。無自覚だから。
問題は、惑わせたことがあるかどうか。無意識だとしても惑わせていなければ何でもないからな。
何言ってるんだろう。
よく考えたら惑わせたいわけでもない気がしてきたぞ。
私は自分のことが好きすぎる。もはや自分で自分に惑わされたい、というのが本心かもしれない。
だからそもそも、無意識に他者を惑わせる能力に憧れているだけで、他者に対してそういう影響を与える人そのものになりたいわけではないというか……。
考え方を変えると、ワンピース的に悪魔の実を一つ食べるのでなく、チェンソーマン的に複数の悪魔と契約したい気持ちがある。
そのうちの一つに、恋の悪魔がいるの。
ねえ、