2023年2月1日 っぺのきおく

これ、嬉しかった。
私の名前を辞書に登録してくれているということが嬉しい。

でもこのときはなんか、素直に「嬉しい!」と反応するのも違うかなと思って「昔中国に鬼谷(きこく)という偉い人がいたらしいけど、もうGoogleで検索しても自分の方が上だし、時代は変わったと思っている」という気取ったツイートをしてしまった。カッコつけやがって。

私はダ・ヴィンチ・恐山さんとARuFaさんを辞書登録してる。雨穴さんは「あめあな」で変換している。でもいま試しに「うけつ」で変換してみたら候補に「雨穴」が出てきた。Google日本語入力はすでに雨穴さんを学習しているようだ。

ほかにオモコロ関係で表記が変換しにくい人ってあんまりいないよな。加味條さんぐらいか。加味條さんは登録してしまうと逆にそれ以外の場面で不便になると思って登録していないけど。

ニコニコ動画でいろんな曲を聴いている。

「うわー、すげえいい」と思っても、例えば2014年の投稿で再生数1万台だったりする。一人が複数回再生していると考えると、これまで数千人しか聴いていないということだ。その数千人以外の人間は、おそらく今後もその曲を聴くことのないまま過ごしていく。

その曲の投稿者は、2014年の投稿を最後にぱったり消息を絶っていた。SNSのアカウントは残っているが、同時期から全く動いていない。

こういうのを見ると不穏な想像も浮かんでしまうけど、実際はどこかで普通に生活してるんだと思う。ネガティブな理由もなく、ただ生活の流れで、それまでの活動とは全く関連しないところに身を置いているんじゃないかな。

どんなに精力的に活動しているように見えても、その環境を好んでいるように見えても、そこに留まり続ける人というのは希少だからなあ。

いま唐突に思い出した人がいる。

私が小学校3年生ぐらいのころだったか、母親が地元の歌唱サークルみたいなのに入っていて、週に一回夜間の幼稚園を借りて練習していた。
私もその場に連れていかれて、歌うことはないけど、同じく連れてこられた他所の子供らと遊んでいた。覚えているのは歳の近い2人だけ。どちらも女子で、年上と年下だった。

年上の女子はたしか2歳差とかだったと思う。絵を描くのが大好きで、たびたび見せてもらったけど年齢を考えてもだいぶ上手かったと思う。もらった年賀状には一面に直筆のイラストが描かれており、「この手間で何人分描いてるんだ……」と驚いたことがある。横を向いている女の子が手乗りサイズの雪だるまを持って、白い息を吐いている絵だった。

親がやがて歌唱サークルに行かなくなったので、その女子との接点も一切なくなってしまった。どのように進学したのかも知らない。しかしきっと絵は描き続けていたことだろう。今も描いているのかもしれない。もし今も描いていて、ネットに投稿していても、当時の絵からは想像できないほど成長していてわからないだろうな。

あだ名は「ふらっぺ」だった。ふらっぺ、元気なのかな。
もし奇跡的にこの日記を読んでいたら、遠慮なく連絡してください。お互いの生存をたたえましょう。

もう一人の年下の女子もたしか2歳差ぐらいで、美形で利発な子だった印象がある。家のテレビはNHKしかつけないらしい。一度その子の家でホームパーティーみたいなことをしたことがあり、そこで食べたトマトのカナッペが本当に美味しくて、私はずっと感動していた。名前は忘れてしまったけど、聞けば思い出せる感覚はあるので、もしこの日記を読んでいたら気軽に連絡ください。

などと言っても、もう会えないんだろうなあ。

彼女らにとって私の印象というのはあるのだろうか。
私は何をしていたかというと、べっこう飴を自作してみんなにあげたりしていた。
覚えてますか。

ほかにも、仲良かったのに進学の都合などで全く連絡をとらなくなった人というのは数え切れないほどいる。保育園から中学校まで一緒で、私がエンタの神様を知るきっかけになったやつとか。

そいつのツイッターアカウント見つかった。鍵垢だけど今も動いているのは分かる。よかった。

こういうとき、自分は誰かに思い出されることがあるのだろうかと思ってしまう。無い気がする。誰かの思い出の中に自分がいるイメージが無い。

まあ、みんなそうか。ふらっぺも今になって思い出されているとは思っていないだろうし。

「どうせ忘れられているだろう」という諦めがあってこそ、生きていられるのかも。

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