2023年7月8日 足りなさ

恐山さんが日記で紹介してた演劇がなんか気になったのでチケット予約して行ってみた。

アンカル「昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ」※7/6公演中止、7日以降は映像上映へ変更   東京芸術劇場www.geigeki.jp

すると、なんと2日前に演者の体調不良者が出ており、公演が中止になっていた。私はこの情報に全く気づいておらず、劇場に着いてから「中止」という文言を含む張り紙を見て「そうなの!?」と驚いた。

残念だな〜と思いながら会場を離れ、座れそうな場所を見つけて腰掛けながらスマホをいじり、払い戻しの方法を調べていた。

すると、「本来の公演は中止し、映像としての公演に切り替える」という情報があった。直ちに理解できなかったが、要するに「人は演じないけど、既に上演した回の録画をスクリーンで流します。手持ちのチケットを入場券として、同じ場所で同じ時間にやります」ということだった。

そこで「え? じゃあ今から映像は流すってこと?」と気づき、急いで戻って係の人にチケットを見せてみたら普通に入場できた。最初に見た張り紙も、よく読んだらこの振替内容が書かれていた。

しかしまあ、映像になっちゃうのはすごく残念だよな〜と思った。これはどう足掻いても残念だ。どうしても見る前からテンションが下がってしまう。ただただ全員にとっての損失だ。やっぱり健康ってめちゃくちゃ大事なのか、と思った。

払い戻し対応もしてたらしいけど、今回はその多大なる残念さごと体験するしかねえと思って見ることにした。この残念さは結局、終始感じていた。「これが生で見られたらどんなによかったか」と思い続けていた。目の前に人がいて、これからその人が動くことで物語が起こるという体験は、映像とは全く性質が異なるから。でももう、とにかく「残念だ!」という気持ちも直視しながらスクリーンに映る物語や演技を見ていた。

舞台は中学校のクラスで、群像劇というんだろうか、20数人それぞれの生きる様子が描かれる。演劇って普段ほぼ見る機会ないから類型もなんと言っていいのかわからない。

みんなやりたいこととかやりたくないこととか居たくない環境とかがあって、それらが全て折り合うようになっていない社会に生きざるをえないみたいな、超大雑把に言うとそういう状況があったと捉えている。

見ながらずっと考えていたのは「自分はこれまで何人に嫌われてきただろう」ということだった。面と向かって嫌いだと言われたこともあるし、人づてに聞かされたこともあるが、それ以外に、誰にも言わずに私を嫌っていた人がたくさんいるんだろうなと改めて思った。それで私は困らないけど、申し訳ないという気持ちがたしかにあり、そして今更申し訳ないなどと思うことによって自分の中で罪悪感を晴らしたいのかもと感じていた。

私にとっても嫌いな人は一応いたけど、それによって学校生活が嫌になるようなことはなかった。今でも思い出すほど嫌な人はいない。というか、忘れているのだ。嫌な感情をほとんど忘れる脳になっている。今考えると、これは防衛ではなく、自分に悪意を向ける存在をまっすぐ屈服させようとしている感覚に近かったのかもしれない。そんな自覚なかったけど。

嫌なことをしてくるやつがいたら、その正しくなさを見せつけるために私は正しいことをし続けた。クラスメイト達が不条理に私だけを無視してくることがあったら、彼らが無視し続ける限り、家まで着いていって話しかけ続けた。だって無視をするのは悪いことだから。このとき私自身は悪いことをしないまま、相手に悪いことをさせ続けていたのだ。少なからず善性を持つ同級生がストレスに音を上げるのを待っている状態だった。当時の私はそういうことを、このような効果を一切意識せず「答えてくれないからもう一回声をかけよう」と無邪気に機械的に繰り返していた。

私は学校の規則や慣例に対して特に不満がなかったから一貫して従順な児童および生徒で、指定されたことには積極的に従うのが一番快適だった。ただ、そうでない者もいるということを認知しきれなかったのが何よりの幼さだった。

今日の映像では、他人にとって被害となる行動をしてしまう生徒らにも、相応の背景があることが観客に見せられることがあった。でも現実は、自分を嫌う人に考えを改めてもらえるような事情を都度見せることなどできない。良さも悪さも、証拠不十分のまま結論として印象付けられている。そのことが感じられてとてもよかった。

一人で秘密を抱えなければ生きていけない者の苦しさについても思った。自分で物事を解決したり飲み込んだりすることで自我を保ってきた者にとって、同情を受け、助け合うことを受け入れるのがどれだけ屈辱か。逃げなきゃ生きられないなら負けを認めて腹を切りたい、という高潔さを掲げてしまった功罪。嫌われる理由を自白するぐらいならそのまま嫌われていた方がいいという自律のよすが。

終演後、そんなことを思いながら東武の果実園リーベルに入った。

果実園リーベルといえば、先日のさんぽ神の記事で食べたフルーツカレーが衝撃だった店だ。見た目のほか、意外といける味なのも衝撃だった。

記事中で行ったのは立川店だったが、ここ池袋店のメニューにも「フルーツカレー」の文字があったので注文してみた。

ん?

なにこれ?

遠心力でフルーツ散らばっちゃった?

すいません、一旦立川店のフルーツカレー見ていいですか?

わ〜、ごはんが隠れるほどフルーツ盛りだくさんでワクワクします。

どうしましたか?

ルーも浅いというか、そもそも皿に窪みがほぼないというか、円盤に刷毛で塗ってる程度じゃありませんか?

まあでも、これはこれで上品な感じがいいですよね。

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