大腸検査後食「ケアミール」から始まる1日。
見た目はびっくりするほど質素だが、検査前の食事よりは味が濃くて美味しかった。
間食用のゼリーも食べた。
こんにゃくゼリーを粉砕したようなブルブル感が美味かった。
普通にうどんも食べた。
規定の倍ぐらいの時間煮て柔らかくした。全ては腸のためさ。
最後のケアミール。
色が増えた。量は少ないが味はしっかりしていてうまかった。
総じて、ケアミールはうまかった。
検査前に食べた「クリアスルー」はここまでうまくなかったが、役割上仕方のないことなのかもしれない。
こないだ実家で買ってもらったレトルトのスープ。常温で保存できる。
温める前に写真を撮るのを忘れたのでこんな図になった。熱すぎて手で持てないのだ。
この写真だと分かりづらいが、具が結構しっかり入っていてかなり美味かった。汁も多めということだ。
これはまた食べたい。おすすめです。
これも食べた。無印のインスタントリゾット。完成後の写真は撮り忘れた。
お湯をかけて作る方法と、水で混ぜてからレンジで作る方法があって、なんとなくお湯のほうがいいだろうと思ってそうしたんだけど、食べながら説明を見返していたら「レンジの方がふっくら作れます」と書いてあって驚いた。
完成品を食べている途中だったけどそこから30秒ほどレンジにかけてみた。少しでも美味しく食べられればいいなと思って。
そんなに変わらなかった。
フリーズドライの豚汁。
木綿の冷奴も食べた。
豚汁はシンプルな味で少し退屈だったんだけど、ごま油を足したらだいぶ美味くなった。
それにしても、律儀に消化しやすいものばかり食べてるよな。
頑張ってるよ、俺。
健康になるといいね。
エッセイ漫画が好きというのはぼんやり自覚していたんだけど、本当に他のどのジャンルよりも好きかもしれないと思った。小説や映画も含めて、全てのコンテンツの中で一番。
昨日の日記で書いた『犬マユゲでいこう』もそうだし、ナガノさんの作品ならちいかわより『MOGUMOGU食べ歩きくま』が好きだし、けらえいこ作品はあたしンちを読む前に『セキララ結婚生活』を読んでいたし、『ひちゃこのゲーム体験記』も数えきれないほど読み返してきた作品だ。小学生の頃には育児エッセイ漫画にハマり、イオンに行くたびに未来屋書店の育児本コーナーで立ち読みをしていた。不気味な児童である。
オモコロでもエッセイ漫画を描かれている方々がたくさんいて、楽しく読んでいる。また、普段はフィクションを描かれる方がたまに描くエッセイ漫画というのも特別感があって好きだ。
ショルダー肩美さんのこの特集も大好きだ……。ご本人が少年期から成長していく過程も見られて楽しい。
橋本ライドンさんがnoteで公開されている漫画も大好き。無限に読んでいたいし、自分も結婚しようかなと思う。
そもそも私は文芸のジャンルの中でもエッセイが一番好きで、さらに文字だけの媒体より漫画が好きというのがある。
したがってこれらが掛け合わされたエッセイ漫画は大好きということになるのだが、まずどうしてエッセイが好きなのか、と自問することがある。いまだに答えは出ていない。
以前、大学の知り合いとこのような話をしていたら「フィクションを必要としてこなかったんだね」と言われたことがある。そうなのか、と思った。これについても真意は理解できていない。
もしかしたら、自分が自分として生きることに揺るぎない自信を持って生きてきた、ということなのだろうか。別の何者かになったり、別の世界に生きることを望まずに。たしかに、かつての私はそんな感じだったかもしれないな。
なんなんだろう。単に、「作られたキャラクター」というものを通して物語の本質を楽しむ能力が無いとも考えられる。エッセイで私が楽しんでいるのは、人の思考に基づく行動であって、言動から読み取る感情ではないのかもしれない。
キャラクター達によって構成される物語を楽しむというのは、セリフや行動を通して感情のあり方や変化を楽しむということも大きいような気がする。私はそれが極端に不得意というか、そもそも感受しようとしていないのかもなあ。
よくわからない。感情についてよく考えている人がいたら教えてください。