品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)さんから、新刊2冊をいただいた。『キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々』は日記「ウロマガ」からの抜粋・加筆によるエッセイ集、『名称未設定ファイル』は既刊小説集の文庫版です。
ぜひ読みたいから買おうと思っていたところ、恐山さんが日記にて「出版社から送られた見本の扱いに困っている」といったことを書かれていたので、よければいただけませんかとご連絡したのだ。非常におこがましい申し出だが、快諾してくださった。
僭越ながら私からはフルーツをお渡ししました。書籍と青果の物々交換を持ちかけてしまった形だが、人として問題ないだろうか。もはや現代のヒトから退行しようとしている気もする。
単行本の『キリンに雷が落ちてどうする』は、手に取った瞬間、そのサイズに目を引かれた。
下の黒線が一般的な単行本のサイズである。
対して『キリン』は少し小さめ。
これは手に収まりやすいと感じた。横幅はほぼ文庫本の幅に近く、物体としてだいぶ読みやすいと思う。ページ数が多めだから、もしかしたらその厚みの分も合わせてこのサイズが選ばれているのだろうか。厚みがある=読むときに親指で抑える小口(背表紙の反対側)の幅が広くなる、ということだから。
これすべて私の個人的な感想なので、まるっきり的外れな可能性が高い。
恐山さんは「雑に読みやすいサイズ」と言っていたが、たしかにキャッチーな質量だと感じる(文字通りの「catchy」)。
以下、軽く内容にも触れながらご紹介します。
日記からの抜粋ということではあるが、1日分の日記が首尾まるっと掲載されているわけではなく、その中のひとまとまりの話題ごとに抜き出されている。日付も記載されておらず、各篇ごと1語のタイトルが添えられ、エッセイ集としてのはっきり新しい作品を読んでいる感覚だった。ウロマガ購読者として読んだことのある文章は出てくるのだが、縦書きになって読み口が変わるものもあれば、画像が無くなって読み方が変わるもの、単純に時間の経過で忘れているもの(多い)など、すべてが新鮮に楽しい。
本書に収録される1篇「海亀のスープ」は、noteでも何度か読み返している好きな文章なのだが、縦書きになったことで全く異なる印象を受けた。同じ小生の語りとは思えない。皆さんにもぜひ読んで体験してもらいたい。
そして所々のページには、山素さんによる漫画「イデアのゆりかご」(原案:品田遊)もある。これもすごく面白い。議論において共有されるイメージが、図解を兼ねた物体として当たり前に出現している世界観、いい……。
文字を主とする書籍の間に挟まれる漫画の特別感というのは、もうなんなんだろう。前後の文章の内容に関わらず、漫画という形式を認知すると無条件に喜んでしまう。今は私も成長したから我慢できるが、かつては漫画だけ先にすべて読むようなことをしていた。まあ今でも図書館などではやってしまうが。(この段落はただの私の習性の話です)
紐のしおりが付いてるのも、本って感じでいい。読むのを止めやすくて再開しやすいのがエッセイ集のいいところだ。枕元に置くのもいいかもしれない。目に優しい色だし。
おすすめです。ガハハと声出して笑いながら読んでいる。本当に。
生のくるみがあったので買ってみた。
店の人は「ホチキスの後部の金具を使うと割りやすい」と教えてくれたが、とりあえず素手でテーブルに押しつけて割ってみた。
ぐちゃぐちゃになってしまった。
一見どこを食べればいいのか分からなかったが、手に取って見れば可食部は明確に分けられた。
食べると、とにかく香り高いことに驚く。モカ的なコーヒーっぽい香りがある。これは上品な食べ物だ。
生としてのしっとりした柔らかさや甘さもあり、うまい。
店の人の教えに従ってホチキスの尻で割ってみたら、きれいに真っ二つになった。
しかし、これはこれでまだ食べづらい。断面から見えない内側の非可食部がゴシック調のように入り組んでおり、食べたいところだけをポロッと取ることができない。結局また圧力をかけて外皮を破壊せねばならないのだが、小さくなっているぶん難易度が上がっている。どうせなら最初からひと思いに潰した方がよかった。みじめにカリカリホジホジと食べていく。
それにしてもうまい。コーヒーの付け合わせとして生くるみが出てきたら、それはそれは上等な嗜好品だろう。
今日は食べたのが夜だったため控えたが、明日の朝こそコーヒーを淹れて、くるみを割ろうと思う。
想像するかぎり景気のいい1日になりそうだ。