このアイスおいしいよー。超おすすめ。
破壊日和の問い合わせフォームから連絡があり、それを受けてRSSを全文表示にした。抜粋になってるの気づいてなかった。
ほか、「鬼谷さんのバナナジュースの記事をきっかけに痩せることができました」という連絡があった。
昨年8月に公開された記事ですね。読んでくださりありがとうございます。
メッセージの内容をざっくりまとめると、
「今から3ヶ月前に改めて記事を読み、ミキサーを買いました。そこから毎日スムージーを作って飲み、また折角なので運動や食事も意識した生活を送ったら、10キロ痩せることができました。鬼谷さんの記事のおかげで健康を見直すきっかけができました。本当にありがとうございます!」
というものでした。
なんというか、すごい成果ですね。
もはや私にお礼を言われても「ただあなたが超すごいだけです」という気持ちになる。もちろんこうして経緯や気持ちを伝えてくださるのはめちゃくちゃ嬉しいんだけど、10キロ痩せたことに関して重要だったのは多分「運動や食事」の部分だし、それをやり続けられたのはそういう強靭な精神を元々あなたが持っていたということだと思う。私は好き放題にバナナジュースを飲んでいただけ……。
だから、私への感謝とは別に、自分に対する自信も持ってください。あなたは実直に頑張れる人です。
まあでも、こうして記事を書いてると、どこかの誰かの何かのトリガーを引くことがあるというわけですなあ。そこらへんの巡り合わせに関してはできるだけ都合よく利己的に解釈していかないと大変になりそうだ。社会。
本件は嬉しい。人が短期間で軽くなったという事象に私が関与しているのも楽しい。
皆さんも、私の記事がきっかけで良い出来事を迎えていたら教えてください。腰痛が治ったとか、大学に合格したとか。いつか新書を出すときに「読者の声」として電車の広告に掲載します。
逆に私のせいで笑えない不幸を迎えていたら教えないでください。
ていうか、不幸を教えられても私は笑います。笑っていいものとして扱います。笑われたくなければ教えないでください。
話は変わる。
「ちょける」という言葉、なんか急に聞くようになったが何かきっかけはあるのだろうか。
「ふざける」「おどける」みたいな意味の関西で使われる言葉だと思うんだけど、もちろん地元(栃木)で使う人は1人もいなかったし、大学の知り合いでも誰も言っていなかった。
しかし最近では関東の人でも使う例があると思う。これがどうも気になる。
この言葉は、発話者が他者の様子を描写する際に用いられることが多いと思う。「おい、ちょけんなや」「深刻な場面であいつがなぜかちょけてて、」等。
つまり、自分を主語として使うことは少ないイメージだ。
しかし、あえて「ふざける」ではなく「ちょける」という比較的ファニーな言葉を選んでその様子を伝えるという判断も含め、実は発話者自身もふざけたがっているのではないか、という気配を感じてしまう。というか、ふざけた当人が起こしたおもしろの空気を自分も浴びようとしているんじゃないかと思う。
恐らく多少の社会的リスクを伴うであろう「ふざけ」の行為に、安全地帯から便乗しようとするその精神が私は気に食わない。
破天荒な友達のエピソードを当事者であるかのように話して「自分もこんなヤバい奴らとつるむ一面ありますね。まあ別に怖くないっすよ、仲間なんで笑」みたいな顔をしているダサさを感じる。
お前はふざけていないんだから、妙な脚色で参加しようとせずに、淡々と当人の愉快さにひれ伏せ。
とか言ったけど、私は結局「ちょける」という言葉がまだ自分の語彙に馴染んでないだけだ。徐々に耳を慣らしていければと思う。
昔は「めっちゃ」とかも何なんだよ、と思っていた。関西の言葉だろ、関東の者が調子に乗って使ってるんじゃねえよ、と。
今では私も使うけどね、めっちゃ。
この一連の主張に補足すると、私は関西の言葉が嫌いなのではなくて、己の在り方に見栄を張って言葉を選ぼうとしている関東人の生半可な精神にむかついているのだ。
誠実であれ。