2022年10月28日 秋茄子は道に落とすな

ナスが落ちていた。

わざわざ薄いビニール袋に入れてあるから、大量にあるうちの1本が雑に落ちたものではなく、しっかり選んで買った1本だろう。しかも八百屋ではなくスーパーで。

落ちていても立派なナスだよな。これなら私は拾って食べることができる。そうした方がよかったかもしれないが、帰宅してしまった。

このナスを使って何を作ろうとしたのだろうか。流石にこの1本だけで麻婆茄子を作ったりはしないと思う。それには足りない。煮浸しもやらないだろう。複数ある食材のうちの1つがこのナスと考えられる。

カレーだろうか。最近はカボチャもよく出回る季節だから、野菜をいろいろ焼いて後から乗せるタイプのカレーを作ろうとしたのかもしれない。その場合、ナスはやっぱりあると嬉しいよな。しかし落としてしまった。

落とし主はナスを落としたことを把握しているのだろうか。たくさん買い物をしていたら、帰宅後すぐにナスの不在に気づくのは難しいかもしれない。もし気づいたとして、その理由についてどう考えるだろうか。

ビニールに入れるという作業までしているから、買い忘れたとは思わないだろう。となると、会計後の商品を詰めるサッカー台に残してしまったと考えるか、やはりどこかに落としたかと考えるか。もしかしたら家の周辺20メートルぐらいまではチェックしに戻るかもしれない。

どのように落としたのかも気になる。ここは歩道だから、歩いて落としたか、自転車に乗って落としたかだろう。一番可能性が低そうなのは1人用自転車に乗って落とすことだ。目の前のカゴに乗せた荷物が落ちるときは結構目立つから。
逆に一番ありえそうなのは、子ども用の座席を取り付けた大型の電動自転車。この場合、運転者の前に子どもが乗ることもあり、視界が塞がる。あるいは後部の子ども用座席に荷物を乗せたとすると、そこからのナスの落下は目撃しづらい。
このほか歩行者の手提げ袋から落ちたという例も考えられるが、これに関してはナスが単独で落とされるほど大量の買い物を自転車なしに行うだろうかという疑問も一つある。まあ全然あり得る話だと思うが、これも子どもが乗れる自転車の例で考えれば、家族向けの買い物という点でナスが落とされるほどの大荷物は納得できる。

家族だとしたら、親は晩御飯の支度をしながら「ナス落としちゃったかも〜」と言うだろう。それを聞いた子どもは別にナスなど好きでもないだろうから、ショックは受けず単純におもしろ事件として受け取る。
「え〜、ナス落としちゃったの」「うん、全然気づかなかったよ〜」「あはは」

子どもは親のミスをやけに記憶する。今回のナス落としも、本来粗末にしてはいけない食べ物というものを道に落とすという愉快さから、簡単には忘れられないはずだ。
今後また親子で買い物に行った際、売り場でナスを手に取ると「もう落とさないようにね」とか言われるんだろう。

複数の袋に分かれる買い物をしたら、移動に際して子どもにも運搬を任されるかもしれない。そのときは、ナスが入っている袋を子どもが持つことになるだろう。だって親はナスを落としてしまうから。
その晩は、無事に家まで辿り着いたナスが食卓へ登場する。子どもは自らが責任を持って運んだナスを食べるわけで、多少の愛着が上乗せされて余計に美味しく感じるかもしれない。結果、ナスのことがわずかに好きになっていく可能性がある。
全てはこの10月28日にナスを落としてしまったことをきっかけに。

考えすぎか。やっぱり拾って食べればよかった。

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