ふみの日だった。関連することは何もしていないが。
ふみの日を知らない人もいるんだろうか。私にとってもそこまで存在感の強い情報ではないから、知っている人は少ないと言われたら「そうなんですか」と思うし、全員が知っていると言われても「そうですか」と思うだけだ。
ふみの日は、23(ふみ=文)の語呂合わせで、毎月23日を「手紙に親しむ日にしよう」と郵便局が打ち出している施策である。だからといって何をしているのかは覚えていないが、限定の切手を売ったりしていた気がする。
私が小学生ぐらいの頃は、親がよく「今日はふみの日だからどうのこうの」と言っていた記憶がある。家業的に郵便物をよく扱っていたから切手を買いに行っていたのかもしれない。
ああ
完全に忘れていたが、私はかつて趣味で切手を収集していた。切手の収集なんていかにも趣味らしいというか、古臭くはあるがあまりにも歴然とした趣味である。主な活動期間は小〜中学生の頃か。
ファイルが2冊分いっぱいになっていた。3冊目を買うのが面倒で、2冊にギュウギュウに詰めていた。学校帰りに郵便局に寄って新しい切手をチェックし、古い切手は親戚から譲り受けて、ふとしたときに眺めたりラジオの投稿に使ったりしていた。大した成果や思い入れは無いが、懐かしい。今は忘れているだけで当時はふみの日をそこそこ意識しつつ生活していたかもしれない。
高校入学でスマホを買い与えられるまでの生活は本当に地味というか、何をするにも地道な感じだった。
毎週聴いているラジオのゲストに丸型ポストの写真家が出るというから、デジカメを持って私の街の丸型ポストの写真を撮ってまわり、現像して、封筒に詰めて、「近所の丸型ポストをまとめました。参考にどうぞ」とメッセージを添えて投函したことがある。中学生のときの話だ。
地道というか、この話はすごく平成だな。令和ではない。昭和でもない。平成を生きた者こその行動だ。デジカメというアイテムがあったから成立しているフットワーク。
後日番組から封筒が届き、その人が制作した「丸型ポストがデザインされたプラスチック製のふせん」が送られてきた。それ自体は特に要らなかったけど、そういった反応をもらえたのは嬉しかった。
最近、日記というか「その日に思い出したこと」を書く頻度が多いように感じるが、思い出したときに書いておかねばこういうこともいつか根っこから忘れてしまいそうなので書いておきたい。
散歩していたら、すれ違った2人組のうちの女性が「クチャラーほんとに嫌い!」と言っていた。
私はちょうど先週の日記で「近年クチャラーという言葉を見聞きしなくなった気がする」と書いていた。その矢先に苛烈なクチャラーアンチの登場。
こういうことがあるたび、「世界を侮るなよ」と言われてるような気になる。
スーパーに寄ったら、「オタク気質のアルバイトがちょっと気合い入れて作った共感性の低いPOP」が点在していた。色はコピックで塗られていた。
こういう時期は大切だと思う。本当に。