2023年3月31日 we wear short shorts

令和四年度が終わり、令和五年度が始まる。

日記を書き始めて丸2年か。毎日何のために書いてるのか分からないけど、惰性で続けている。惰性という言葉は「だらだら」「漫然」のニュアンスを伴って使われることも多いが、この場合は純粋に「慣性」の意味である。

慣性で続けている日記、誰がどんな風に読んでいるのか分からないがとりあえず続ける。私自身は書きたいわけでもない。有料記事を設ける需要と精神力は無いことが分かっているから言うまでもなく今後も無料で。

普段全然見ないけど、今ダッシュボード見てみたら、2年前の1日あたりのPV数は300前後だった。今は700前後で、1ヶ月20000ちょい。そんなに増えてないな。まあそんなもんか。

日記の感想をいただく機会はそこまで無いけど、たまに見かけると「おっ」と思うね。Discordとかで言及してくれる人を見るとリアクション押したくなる。

そんなわけで日記は一応続けるけど、今年はもうちょっと別のことにも時間を割きたい。ゲームとか。四年度は全然ゲームやらなかったからな。

タモリ倶楽部が終わった。最終回の企画は「ネットに溢れる『タモリのレシピ』が間違いだらけだから正しいレシピを伝える」というもの。移動せずに2品作っただけなので内容はいつもより薄い印象だった。あえてそうしたんだろう。「豚肉は8枚使用」という部分で瑛人の香水が流れていた。

今の小学生にとっちゃ、もうタモリなんて知らないおじいさんなんだろうな。これからタモリを知らずにどうやって育つんだろうか。無条件に見下しちゃうかもな。「2010年代生まれはタモリを知らないからどうしようもないな」みたいに。

非タモリ風生姜焼き。

以下、人や属性ではなくデザインへの意見である。

あらゆる施設の男子トイレには、大便器と小便器がある。大便器では大便小便どちらをしてもよい(両方も可)のに対し、小便器は小便専用で、直立状態のまま使用する。

小便器は個室などの形で遮られることがない。いくつか並んでいる場合、それらを区切る板一枚とて無いことが多い。常に誰かが背後を通りうる状態で用を足すし、複数人で同時に利用する場合は視界の端に他者を捉えながら放尿することになる。自分の下半身には目を向けつつ、隣人の陰部を見ないように気をつけ、互いの信用のもとに過ごすのだ。ちなみに、少し横を向けばほぼ確実に他人の性器を目視できてしまうし、逆も然りである。

これ、かなり変だよな。変だけど、これが当たり前とされている。

公園などにある公衆トイレの小便器はもっとすごい。防犯のための設計だと思うが、結構な数の小便器がトイレの外から目視できてしまうのだ。壁が壁として機能しきれていない。シューティングゲーム風に言うと、射線が通っちゃってる角度が多分にある。使用する側としては、やはりうっかり女性や子供に見られるのが怖い。見せることになるのが怖いとも言える。

もちろん大便器だけを選択し続けることもできるが、小便専用器が用意されている以上それを使う圧力は生じるし、実際ほとんどみんな使えてしまうのだ。「見られても仕方ない」という意識を刷り込まれてきたから。

これってやっぱり良くないよな。男の性の尊厳みたいなものを男自身が軽んじることになっているわけで、性に関する主観が弱くなり、ひいては性全般の尊厳がどうでもよくなる。社会参画の権利や待遇云々といった人間らしい議論以前に、短絡的で即物的な放棄が生じてしまっているのだ。

あと、一般的に隠すべきとされるものが容易に見えうる空間を男同士で共有すること、及びそういった違和感のあるハードルをともに乗り越えることで、ホモソーシャルを強固にする作用もあると思う。「見えちゃってもしょうがないよな、俺らそんなの恥ずかしがらないもん」という仲間意識。

一応改めて言っとくけど、すでにそういうシステムで成熟してしまった男を擁護したいわけでも批判したいわけでもなく、単純に「そういう意識を持たせうるトイレには欠陥があるまいか」というだけの話だ。

切り口によっては「 “母” を求めてきた日本の男性」みたいな話にもできると思うけど、いま私が言いたいのは、ただ「男子トイレの小便器には壁が無さすぎる」ということに尽きる。ベルトを外してから再び装着するまでの全ての動作が他人に丸見えで本当にいいのかね。

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