2022年11月16日 ものを輝かせる才能

夜。トンカツナイト。

私はストレスを自覚する能力がすごく低いんじゃないかと思ってきた。ストレスを感じないのではなくて、自分がストレスを感じていることを自覚できないということ。

これ、なんかヤバい気がする。
最近はところどころ体調に問題が出ているから「ストレスがあるのかも」と思えているんだけど、そうでなければ理解できないって、今後だいぶ身を滅ぼしながら生き続けることにならないか?

自分が何をするとつまらなく感じるのか、つらいと感じるのか、全く考えたことがなかった。むしろ「自分は何もつらく感じないのかも」と捉えていて、何事も楽しめる性格だと思っていたのだが、どうやらそうではないと気づいたのが最近だ。

そもそも感情なんて感じるままに感じればよいのだから、気づかないとはどういうことか。

ど、どういうことか……? わからん。

なんとなく思うのは、まず悲しいとか苦しいとか感じることにすごく抵抗があるんだと思う。我慢できないというより、まず自分が負の感情を抱いている状態が嫌で、そうさせられていることが許せない性格な気がする。元気な人たちに負けていると思って悔しいのかも。
そんな性格の垢が長年堆積した結果、負の感情の認知機能が著しく衰えてしまった気配がある。ただ、認知しなくても負の感情はそこに生じているのだ。そして静かに侵食が進む……。

自分が心地いい環境を探して生きていくべきなのだろうが、その判定すらも正しく機能しないかもしれない。

どうすりゃいいんだ。

どーすんの、オレ!?

オダギリジョー、一番好きな俳優かも。
顔がかっこいいし、着ている服がかっこいい。ていうかオダギリジョーが着る服ってかっこよく見えるんだよな。

おお、文字打ちながらすでに恐ろしく感じたけど、「オダギリジョーが着る服はかっこよく見える」ってどう考えても圧倒的にモデルという職業としてのパワーだ。
雑誌とかでオダギリジョーの写真があると見入ってしまうし、その全ての服が魅力的に感じて欄外に書かれてるブランドや金額まで読み込んじゃうもんな。買わないし記憶もしないけど、その瞬間だけは「これがオダギリジョーに近づくためのアイテム……」と心から思える。
モデルになる人とならない人の差って、怖いほどに明らかなのかもしれない。

お風呂あがりに体拭いたりしながら匿名ラジオを聴いていたら、自分の名前が出てきてビックリした。

なんか絶妙に夢みたいだ、と感じた。寝て見る夢。全てがちょうど夢にありそうなシチュエーションで、そう感じた瞬間、急にまどろむような感覚になった。
少し驚いたが、主観的に分析すると「いまは限りなく夢に近い状況なのだから、自分は寝ている方が自然なのだ」と錯覚する状態が生まれたように感じる。

伝わるかな。まずその状況が夢のように感じたということがうまく伝わらないかもしれない。そもそもみんながどういう夢を見ているかって共有されにくい感覚だと思う。

よく「風邪の時に見る夢みたいな光景」という表現がされるけど、あれ全然分からないんだよな。本当にさっぱり分からない。体調が悪くても夢の内容に反映されることがない。
私の悪夢は大体「カエルがいる密室に閉じ込められる」という内容の一択だし、それも日々の中でランダムに見ることになる。元気に楽しく過ごした1日の締めにもこれがあったりするから勘弁してほしい。

以前音声放送でもちょろっと名前が出てきて「おお、自分……」と思った。嬉しいのと同時に、気づいてよかったという安堵がある。

気づかなかったら気づかなかったで元から存在しないのと同然だけど、気づいたときには「もし気づいていなかったと思うと……ゾッ」というプチ恐怖が生じうる。これってなんか損じゃない? せっかく気づいてるのに怖がって。

じゃあ「気づいてよかったー!ハッピー!イェイイェーイ!」とだけ思えばいいのか。それもなんかズレてるよな。
せっかく喜びのリソースがあるなら、話題にされたことを喜んだ方が自然だ。

買ったクルミが自宅じゃ全然うまく割れないんで、ジップロックに詰めて公園に行き、拾った石で叩き割った。私は賢い猿である。

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