2023年4月25日 可能性の祖をもらう

恐山さんにサトウキビをもらった。

竹すぎる。

もらったときは袋に入っていたのだが、姿を見ぬまま袋越しに掴んだ瞬間「(竹が入ってるのか……!?)」と思うほど生粋の竹具合だった。内心でそう感じていたところ恐山さんが「見た目はほぼ竹で」と言ってくれたため、私の感覚は無礼でないと安心した。

さて、この竹はどうすれば食べられるのだろうか。試しに包丁で輪切りにしようとしたところ、刃は全く入らない。

調べたら、良い動画があった。

トークによる説明やキャプションは一切ない。「百聞は一見に如かず」ということわざがピッタリな動画だった。

恐山さんにもらったサトウキビはすでにちょうど良い長さにカットされているため、あとは縦に割いて、硬い部分を笹がきのように削いでいけば食べられるっぽい。動画でいうと0:45あたりの部分から真似すればよさそうだった。

そうした。

解体後の様子がこんな感じ。庭園が主催するワークショップの材料みたいだ。食べる用に少しカットした後だけど、左手前のやつが可食部である。

中身が空洞になっている竹と違って、サトウキビは中心まで繊維ぎっしり。そしてさすが砂糖の原材料らしく、解体の過程で飛び散った汁が糖分でキラキラしていた。近くに置いていたスマホの画面はベタベタである。

それにしてもサトウキビを実際に触って切るまで、こんなに硬いものだと思っていなかった。とうもろこしのような皮に包まれているゴボウみたいなものかと思っていた。皮なんか歯で剥けるものだろうと。

割く際のコツとしては、立てたサトウキビの断面に包丁の柄側の刃を入れて、包丁を握っていない方の手で先端側の刃の背をトントンと叩くようにしていくとテコの力がよく働いて下まで進むのでおすすめです。

可食部を一口サイズに切ったものがこちら。まっすぐ揃った繊維質の様子は、テレビ石とも呼ばれるウレキサイトのように感じた。これを噛んで果汁を吸い出し、残った繊維を吐き捨てるのがサトウキビの食べ方だ。

食べてみた。詰まった繊維をニジニジと噛み締めると、隙間に含まれる甘い果汁が出てくる。実にシンプルな甘さ。「生砂糖」という表現が浮かんだ。フルーツらしい香りはないが、植物としての味わいはある。もっと青臭いかと思ったけど、想像以上に雑味は無くておいしかった。

果汁を出してからあまり長く噛んでいると繊維そのものの味が出てきてしまうのと、繊維が歯に挟まるので、適当なタイミングでぺッと吐き捨てる。野生を感じられる手順で楽しい。

これはこれで十分美味しく味わえたが、適材適所という意味で、今の我々にとってサトウキビはそのまま食べるべき果物(食物)ではないのだなと感じた。というか、これを使って砂糖という食品を作ることにした人類があまりにも偉大である。

まず、生のサトウキビは食べるまでが大変。今回は縦に割くところから工程がスタートしたけど、元の長いサトウキビを適当な長さにするとしたら、包丁ではなくナタなどを使う必要がある。繊維のカスや汁が飛び散ることを考えれば、できることなら屋外で切りたい。

そして、その苦労の結果の食べ応えが少ないのも難点だ。結局、噛んで滲み出てきた果汁以外は捨てることになるからな。

これまでサトウキビというと、タンクトップを着た沖縄のボウズが手持ち無沙汰にガジガジ噛んでいるイメージだったが、今それを想像すると「もっと腹に溜まるもの食え!」と言いたくなる。

しかし今みたいにお菓子がありふれていなかった時代を考えれば、友達との遊びついでに喫したくなる気持ちもわかる。子供の嗜好品には十分な甘さだ。外皮を剥く過程ごと遊びの一部になるだろうし、そうしてナタの使い方も学んでいくのだろう。

総じてすごくいい体験だった。サトウキビってこんな感じだったんだな。もっと気軽に食べられるものかと思ってたけど違った。今後砂糖を使う際のありがたみが一層増すと思う。

この小難しい植物をあれこれ加工した結果、この世のあらゆる甘味(かんみ)が生まれていると考えると、なかなかすごい。

「こりゃサトウキビから砂糖を作ってみるのも楽しいかもしれないぞ」と思って検索したらデイリーポータルZの記事が出てきた。

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