国立科学博物館の企画展示が好評により開催期間を延長した、というツイートを見たので行ってみることにした。
企画展は、哺乳類についての展示だった。
展示室には木製の箱がたくさん設置されており、すべてに複数の引き出しがある。
引っ張り出すと哺乳類に関する情報や標本などがあり、鑑賞者は読んだり見たりしてまた戻す。
予約制で人数を制限しているとはいえ展示室は盛り上がっていた。そうなると、まだ見ていない引き出しを誰か別の人が見ていることも多くなってくる。そういうときは、その人の横にスッと立って、一緒に覗き込むしかない。みんな自然にそうしている。
私がヤマアラシの毛が展示される引き出しを見ていたところ、右隣に1人の女性が立ち、一緒にヤマアラシの毛を見る形になった。遅れて、男性が私の左隣に立った。
頃合いを見計らって、私はヤマアラシの引き出しを閉めた。他の2人も納得している様子だった。
次の引き出しはさらに下の方にあった。立ったままでは見づらいのでしっかりと屈み、引き出しを開けると、今度はさまざまな動物の毛皮が並んでいた。モグラの毛やシロクマの毛など、環境によって毛の性質や生え方が異なるさまを伝える展示だった。ここでは実物の標本だけでなく、毛を拡大して生え方をわかりやすくしたプラスチックの模型もあり、大変見応えがある。
両サイドの男女もじっくりと見入っていた。
無関係の3名が動物の毛を熱心に見ている様子は周りにも漏れ伝わったのか、ギャラリーが増えているのを背中越しに感じた。
徐々に焦りが生じてくる。
この引き出しを閉める責務は、私に一任されているのだ。
私は、冷静に考え、自分なりの答えを出した。
それは、とにかく真摯に展示を見ることだった。この展示が伝えたいことを受け取る時間、この展示から私が何かを感じ取るための時間をまっとうに過ごせば、そのとき引き出しを閉じる行為に間違いというものは生じない。
そう決めた瞬間から改めて全ての毛をじっくりと観察し、地域による環境の相異と動物の進化に思いを馳せ、よし、と心を決めて引き出しを閉じた。
若干前のめりになっていた横の女性も、やおら姿勢を戻す。なんとなく納得している気配がある。と、信じたい。
屈んでいた私は立ち上がり、次の展示へ向かうために振り返ると、周りには8人のギャラリーが立っていた。
ネコ科の動物は意外と足が太い。
これは渋谷駅の銅像で有名なあの忠犬ハチ公の剥製だが、秋田犬という立派な図体の割にはシャープな足元をしている。
せっかく上野に来たので、オモコロライターのかとみさんが熱狂されていることでおなじみ「みはし」に行ってみた。先日のコミティアで同人誌を買わせていただき、それを読んでから行ってみたい気持ちが強まっていたのだ。
「熱狂されている」と書いたが、あまり適切な表現ではないかもしれない。もはや狂ってはいない。いろいろと、据わっている。
熱すぎる火が青く見えるような落ち着きを感じる。
クリーム白玉あんみつの、つぶあん変更。
甘くて冷たくて美味しかった。白玉は柔らかくモチモチしている。
ごく個人的な感覚だが、あんみつは、パフェよりも「各要素が混ざった時の罪悪感」が少ない。むしろそれを肯定的に楽しめると感じる。
パフェも味が混ざったときのうまさというものがあるんだが、あれにはなんか「混ぜちゃってすいません」という気持ちが同居している。
日本人である私には丼型の容器が居心地いいのかもしれない。
腹が減っていたので、いそべ巻も食べてみた。うまい。餅を正月以外に食べるというのは、不思議と気分がよい。
餅もうまいが、やっぱりクリーム白玉あんみつが染み入ったな。
最近読んだ開高健のエッセイで「夏の暑さによる疲れにはあんみつが一番」みたいなこと(再現度15%)を言っていた気がするのだが、分かるかもと思った。
沖縄バヤリースのソルティシークヮーサー。
うまい。シークヮーサーの苦味は良い。
実家めし。
先月飼われ始めた猫は、私のことをだいぶ警戒していた。初めて家に来た日は私が迎え入れたし、不安がりながらも私の手に頭を潜り込ませて眠るなどしていたのだが、そんなことはすっかり忘れているようだ。
君が寝床にしまいこんでいるリラックマのぬいぐるみは、私のお下がりなんだぞ。